くりかえす


近々、友人の結婚式があるので、そのための服でも見に行くかと行って新宿に出かけたのだが、いざ色々見ても、まったくどの服もほしくなくて困った。もう良いとか悪いとか以前の、ほとんど、これらが売られている事の意味が、ぜんぜんわからないという気持ち。デパートの売り場全体が、何か全体的に、ふつうにダサくて外した空間でしかないように思われた。5年くらい前までは、そんなふうには思わなかったのだが…。でも当然ながら「洋服」というモノ自体の面白さがなくなったわけではないはず。もうちょっと色々考えてみたい。


同じものばかり食べたがるとか、同じ店にばかり行きたがるというのは、これは自分としてはいたってふつうな感覚だと思うのだが、それがわからない人もいるらしい。せっかくだから、もっと別のものを注文したいとか、もっと別の場所に行きたいとか、そういう考えかたの人も少なくないようだ。まあその気持ちも、まったくわからないわけでもないが、しかし基本はいつも同じ。という方が、自分はどうもしっくりくるのだが。なにしろ、いつもと同じものを選んでおけば、細かい諸々に余計な気を使わなくて良いからラクだし、ラクということは、それだけ心にゆとりを確保できるということだし、その上で、いつもと同じ調子で、いつもどおりのパターンで差し出されたものを、いつものように口に運んで、ああいつもどおりだ、と感じるのは、決していつもどおりなマンネリな体験とは思わない。むしろ、一回一回の新鮮さが、良いコンディションの下で、何度でもよみがえってくるような体験だと思わないですか?そう思いますがね。そういうくり返しの中に、たしかな満足を何度でも発見し続けるというのが、醍醐味だと思うのですがいかがでしょうか。


なんでこんなことを云ってるかというと、さっきコンビニで僕の前でレジ会計してた夫婦が居て、奥さんが旦那に「えーなんでいっつもいっつもおんなじものばっか買うのー?よく飽きないねー」とか言ってたからで、僕としては「なんでおんなじものばっか買っちゃいけないのー?毎回違うものばっか買ってたらしまいには自分がなに買いたかったのかわかんなくなっちゃうよー?」とか言い返したい気持ちになったからです。


このまま行ったらどんどん駄目になるんじゃないか、先が見えてるんじゃないか、お前はそう思っていま不安なんだろう。でもそう考えてしまう事自体が、つまらない観念に囚われているだけなんだよ。自分で自分のことを、俯瞰した気になるなよ。そもそも、そんなこと、はじめから不可能なんだから。いままでの取り組みを、一望したいだなんて、思っちゃいけないよ。ふいに過去を思い出して、すべてにうんざりする事も、あるかもしれない。でも、そのとき思い出してるのは、お前のほんとうの過去じゃない。それはおそらく、なにかのまやかしだ。酔っ払って、そういうのにあえて溺れるのも、たまには悪くないけど、でも翌日になってもまだそれを信じてるのは、つまらない。


商売のためになら、ある程度、割り切った態度も必要なことは、それは確かだ。それはそこで、それなりであって、かまわない。でも自分自身まで、商売上の割り切りを真に受ける事はないんだ。とりあえず適当に、細切れにしたものを売りさばいて、代金をもらって。それで暮らしを支えて、自分の気持ちも支えて。そしたら、また自分本来の仕事に戻るんだよ。そのことぜんたいを、ちゃんと自分の仕事の枠内に据えて、それで自分の意志でしっかり回していくんだよ。


なんだかんだ、えらそうなこと言っても、所詮人一人がやれることなんて、それでしかないからね。