いない

駅まで徒歩15分くらい掛かる。ここに引っ越してから13年くらい毎朝歩いている。今朝も家を出て歩道を歩き始めたら、前を小走りで急ぐリュックを背負った男の後姿があり、斜め前に信号待ちで停車中の白いワンボックス車の排気音が聞こえる。そのとき、僕が見た景色は、昨日の朝の同じ時間に僕が見た景色と、ほぼ全く同一であることに気付いた。つまり昨日の朝も、歩道をリュック姿の同じ男が走っていて、同じく白いワンボックス車が斜め前に信号待ちしていたということだ。

とはいえ毎朝、同じ時間に同じように歩いているのだから、そういうこともある。別に驚くようなことではない。駅に向かって歩みを進めながら、時折見かける同じ方角を行く人達だって、目にしたかぎりではほとんど見たことある人ばかりだ。もちろん知り合いでもないし挨拶を交わすこともないが、ほぼ毎朝、だいたい決まった地点で、姿を見かけたり、歩くこちらが追い越したり追い越されたりしながら、お互いに駅までの道を急ぐのだ。自転車で編隊になって、さーっと向かいの道を走り去る人々も、いつものことなので、一人一人が何となく記憶に馴染んでいる。華奢な身体にけっこう大きな荷物を背負って急ぎ足で危なっかしく走ってる女性も、たまには歩きなよと言いたくなるくらい毎朝せわしなくヨタヨタしてるし、狭い路地から大きな通りへ左折してくる車も、もう何度も見かけたことのあるきれいに磨かれたトヨタ車だ。

当然ながら、然毎朝、皆がほぼ同じように行動しているのだろうけど、ただし僕は出勤時間に応じて今の時間に家を出るようになって少なくとも四、五年は経つので、その間毎朝同時間の同コースを歩いているはずだが、毎朝見かける見知らぬ通勤者のみなさんが、はたしてそんなに昔から同じようにこのコースを歩いていたのかどうかは記憶に定かでない。それは単に僕の四、五年前の記憶から消失しているのか、それとも彼らがこの近辺の駅前コースを歩くようになったのがもっと最近だからなのか、そこがわからない。でも当然ながら、高校生や若い人はさすがに五年前の同じ時間に、ここを歩いてなかっただろうし、中年男性とかでも、何年も同時刻いつも見かけるということはない気がするし、せいぜい半年くらいは「同期」していても、一年とか越えると必ず見かけなくなるような感じか。駅までの道もそうだし、自分の乗る電車が来るまで、毎朝いつも低位置のベンチに座ってる人とか、決まった車両の決まった位置に座ってる人もそうだ。どの朝だろうが、いつもいるけど、いつか必ず、居なくなってしまう。

また半年後、一年後に彼らの姿を思い出せるだろうか。あるいはまた、いつの間にか人が消えて別の人が現れて、ふと気付けば、かつてのあのときとは全然別の人々が歩いているのを、そのときにまた、いつも毎朝同じ顔ぶれのメンバーとして頭の片隅で気にしながら、僕だけがいつものように歩いているのだろうか。