中目黒の光


日比谷線の恵比寿を過ぎて終点の中目黒に向かう途中で電車は地下から地上に出る。僕は十二月から毎朝同じ時間にこの電車にのっているが、憶えている限りここ1ヵ月の間、地上に浮上した瞬間のものすごくまぶしい朝の光が車内に差し込んでこなかった日は、おそらく一日たりともなかったはずだと思う。つまり毎日が晴天だったような気がする。いや、さすがにそれはないか、一日か二日くらいは曇りや雨もあったかもしれない?でもおぼえていない。地上に出た瞬間、あ、今日は雨だ、今日は少し曇ってる、と思った記憶がない。僕の知る限りここ一ヵ月以上毎朝、晴天だ。今日も晴れか!と、いつも思うのだ。


それにしても冬の朝のまぶしいこと。冬の朝というのはいつも、これほどまでにまぶしく晴れ上がっているものだろうか。まともに目を開けていられないほどの真っ白に輝く光だ。やや青みがかったような硬い光。それが惜しげもなく車内にふりそそぐ。いやふりそそぐという表現は適当ではない。まるで子どもがカメラのフラッシュをイタズラしてばしゃばしゃと光らせているかのように、車内に光が溢れて一瞬何も見えなくなるほどの、とてつもなく眩しい光。光がまるでホースの先をつまんで水をいい加減に飛び散らせたように野放図に無際限に、大きいのや小さいのになって細かい破片になったり飛沫になったりしながら、あとからあとから湧いて出てきて、周囲何もかもが光びたしになる。


朝の通勤時、僕は大抵読書していて、居眠りしているときもあるがほとんどの場合開いた本に目を落としていて、そのとき中目黒の手前対策というのがあって、中目黒手前に差し掛かったときもし進行方向に向かって身体を左にしていた場合、射し込んでくる光線をまともに受けてしまい本が光って見えなくなってしまうので、身体は進行方向に向かって右を向き、太陽に背を向けたかたちでいるようにしている。…でも、毎朝のことながら地上に出た瞬間は目の前の景色にやはり目を見張ってしまい結局読書は中断される。右を向いてる自分の背中に光がまともに当たって跳ね返り、自分が影になるので開いた本の活字をひきつづきかろうじて目で追えるものの、紙面の矩形領域以外のすべてが目まぐるしく光って明滅して恐ろしいまでの勢いでぐるぐるしているのが目の端に感じられる。本の外側からじわじわと侵食してくる何かに対して目を見やるように、周囲を見回してしまう。そうするといつもの事なのだが車内の驚くべき光の狂騒に驚く。


車両の一番端にいて、床の一角に光っている水溜りみたいな光の溜まりの驚くべき明るさを見て、そこから目を上げて進行方向の一番先頭の車両の方にまで視線を向けてみると、ずっと向こうの窓からこちらにまで細く鋭く斜めに差し込んでいる真っ白な光の線が、ありえないようなものすごいスピードで車内を駆け抜けていってこちらまで迫ってきて、ほんの手前まで来てその後一瞬で消える。それが一秒おきにこちらに向かって駆け抜けては消え、駆け抜けては消えを繰り返しておそらく車内の光度は訳のわからないことになってしまっている。窓も屋根も中吊り広告も、座席の人々も立っている人々ももちろんそれを見ている僕にも一様に光のまだら模様の浪が平然とかぶさっていき、頭からなめられて、あっという間にまた、次のまだらの浪に再び頭からなめられて、それの繰り返しを、光の通り過ぎていった感触の錯覚を何も感じないはずの心身にいっぱい感じたままで、ただ黙ってそのありえない筈のくすぐったさにも似た感触をじっとガマンしているようで、そんな車内のすべてに対して、なおも光は馴れ馴れしくすべて無遠慮にさわりながら高飛車に嘲笑うかのようにまた車外へすり抜けていく。朝の中目黒。地上に出たら終点まではもうすぐ。