同棲しているカップルがいた。同棲相手の女が何か隠し事をしているのではと、男は疑っていて、そのことを友人に相談した。後日、友人が女の秘密を知って、公衆電話から男のアパートに電話をかけて、その秘密の内容を伝えた。しかしその電話を取って話の内容を聞いたのは、当の女、本人だった。女はショックを受け、無言で電話を切る。ちょうどその同じ時間に、男は町を歩いていて、公衆電話から出てきた友人に偶然ばったりと会う。友人は、あれ?今電話に出たのお前じゃなかったのか?と言う。実は男はその時点ですでに別の経緯から女の秘密の真相を知ったところだった。だから友人の言葉で情況をすぐに悟って、激高する。なんで確かめもせずにそんな事を電話で喋るんだと。友人の行為を非難して、顔面を拳で殴りつける。そのまま自分のアパートまで走って戻る。玄関のドアを開けると、部屋はもぬけの殻で、衣装棚にも戸棚にも女の所持品はない。既に荷物をまとめて出て行った後のようだ。机の上に置手紙がある。その手紙には、今までの隠し事の内容やいきさつが書かれている。それを読んだ男は、再び外へ女を捜しに行こうとする。激しい勢いで玄関のドアを開けると、そこに当の女が立っている。ガスの元栓を閉め忘れたかが気になって戻ってきたのだという。男と女が直接やり取りする。そして問題が解決して物語がクローズする。
ここで印象的なのは、男の友人が女の秘密を知って男に電話をかけるときの、なぜか電話に出た相手を、まったく確かめもせずに一方的に受話器に向かって話をして、必要な情報をどんと一気に送り届けて、相手はともかくその秘密内容を伝達する仕事を見事に完遂させてしまう部分である。誰でもそう思うだろうが、この箇所には異様な違和感がある。どう考えてもそのときだけ、友人は何故か別人格になっている。いや、それは違う。むしろ友人というポジションをまっとうする義務が一部欠落してしまったかのようなのだ。おそらくその友人は、そのときだけはまるで無機物のように、単に要件を棒読みで相手に伝えている。というか、そこには電話で話すという行為とは違う何かが起こっている。電話で、つまり声で相手に意味を伝えるという事ではない何かが、そこで起きている筈だ。そこには何か超常的な力の働きがある。いや、力の働きというよりは、我々の周囲を一様に覆っていなければいけないはずの普遍的な磁場作用の部分欠落、とでも言いたいようなインシデントの痕跡があるとでも言うべきかもしれない。その友人は人間として、なんとなく軽薄で信頼性の低い、頼りない雰囲気も漂わせてはいるものの、根は善良で明るい気の良いヤツとして存在していて、しかし問題の当該箇所だけは、まるで人間である事を一瞬やめてしまったかのようなのだ。人間ではなく、只の現象として存在しているかのようなのだ。現象が存在する?現象って、存在するものなのか?そこすら怪しい。存在未満の働きかけの一部として、その友人は公衆電話にふわっと半透明な姿を垣間見せているかのようなのだ。たぶんこの瞬間だけ、友人は電話する人間である事をやめている。この友人はその瞬間から公衆電話そのものになっている。自動的に動く公衆電話。自動的に相手に要件を伝える公衆電話というものがあるのだとすれば。
男はその直後、偶然公衆電話から出てきた友人を見つけ、事情を悟り、友人を殴るのである。この箇所ももはや現実の出来事とは思えない。そのような偶然の出会いは現実のものではないと考えるべきだろう。男は友人を殴るのだが、このとき友人の顔は激しく歪んでいる。しかしそこに痛みや意外性や後悔や罪悪感はない。ただ殴られて歪んだ顔だけはある。そこには、友を殴るという意味を満たすべき何の要素もない。ただ単に拳が相手の頬にあたって顔が歪んでいるだけなのだ。
男が急いで自分のアパートへ向かっているとき、殴られて地上に伏した友人がその後どうなったのか、それはまったくわからない。いやわかることができる領域に、最初から友人はいない。おそらく友人はすでにいない。その友人は今後自分の、そして相手の人生において、継続的に友人としての役割を担って、男の前にあらわれる事は、もはやおそらくないだろう。さようなら友人。お前はおそらく、とてもオートマティックでパブリックでサキソフォニックなフォーンだった。しかし友人は再び、別の人生を生きてきたまったくの別人としてふいに、しかるべきときに、それまでの一切がまったく何事もなかったように、あらためてまたいつものように、男の前にあらわれ、少し軽薄ながら気の良さそうないつもの見慣れた笑顔を相手に向けて、そしてまったく疑いようもないほどいつものように、再び男から、以前とは別の相談を受けることだろう。