小野里


 店内は床と、天井と、左手の壁と、右手の小窓に囲まれた細長い空間である。まるでカステラの空き箱の内側に入って内部を見回しているような気分だ。椅子に自分が腰掛けていて、備え付けのテーブルに肘をついて僕はさっきからずっと待っている。テーブルの幅は自分の体の幅と同じかやや狭いくらいで、子供用の机と椅子に無理やり坐ってるみたいな感じもする。でも居心地が悪いわけではない。むしろ何となく落ち着く感じもする。このまま身動きもせずひたすらじっと店内を見回し続けているのも悪くないかもしれない。
 やがてその狭い空間を、やたらと嵩張るごわごわした塊がゆっくりと近づいてくる気配がして、振り向こうとしたら、もう視界に小野里が入ってきた。何かやたらと派手な着物のようなものを着ていた。いや、よく見たら、本当に着物を着ていた。成人式のときの晴れ着のようなやつだ。いや、成人式のときの晴れ着だった。着物を着ているのだ。驚いてしばらく言葉が出てこなかった。数秒してやっと「えー?小野里って、二十歳だったんだ?」と口にした。口にしてから、我ながらバカな第一声だと思った。小野里は「うん、二十歳だよ。」とこたえた。向かいの小さな椅子に浅く腰掛けて、眩しいように目を細めて、笑ったような困ったような、どちらともつかない表情でこちらを見た。隣の席に坐っていた男女がちらっとこちらを見た。まあ待ち合わせしている相手が二十歳の成人かどうかをここで今知るって、確かに妙と言えば妙かもしれないが。
 さて、しかしなぜ、ここに成人式みたいな晴れ着の女がいるのか、それが自分にとってももっとも大きな問題のはずだが、それをまともに考えるのが難しかった。というか、今日が何月何日なのか、せめてそれくらいはすぐに思い出したかったのに、思い出せない。というか、年月日はおそらく最初から記憶にないのだ。たぶん。それで、もし年月日がわかれば、今日があるいは成人の日で、小野里の格好が非常識なのか普通なのか、それだけでもわかるのだが、それをわかる手立てはないということだ。それさえわかれば、ある意味、ほんとうに小野里が成人なのかそうでないのかなどどうでも良く、二十歳だろうが何だろうが、外見的には何もわからないのだから問題ないわけだし。でも逆に、今日の日付とかそのレベルでわからないと、じゃあなぜ、今ここに小野里がいるのか?という理由とか、そもそもなぜ自分と小野里がここで待ち合わせしていたのか?そもそも小野里って誰なのか?この女誰だっけ?…というところの疑問に関しては、全然、考える優先順位が低くなってしまうので、それはそれでまあ、いまこの謎だらけのままでも、それはそれで良いのかもしれない。今日はまだ午前中だし、今、十一時半なので、まだ午後がこれからたっぷりあるというのはやはり救いなのだし、その気分は大事にしたい。でもふと思ったのは、ああこれで今日はもう、カレーを食えないじゃん。湯島のデリーでカシミール食えないじゃん。晴れ着の女を連れてはさすがにカレー屋に入れないじゃん。そんな格好でカレー食いに行けるわけないじゃん…という失望の気分がわきあがってきた。ああ、今日は小野里が妙にうきうきして狭い歩幅でちょこちょこ歩くのにずーっと付き合うだけなんだなあと思って、ちょっとうんざりして来た。