演習・実践


朝、ケアマネさんから電話。また事態が変わって、やはり今日動くことに。着替えて出掛ける。東京駅、新幹線のきっぷ売り場はかなりの行列。前に並んでいた爺さんが、ここは東海道新幹線の売り場ですかね、東北はここじゃないですかね、というので、深く考えずに、ここは東海道じゃないですかー?と答えてしまい、ああそうでしたかと言ってその爺さんは行列から外れてどこかへ行ってしまったのだが、その後すぐ気付いたのだが、この売り場で東北の切符も買える。ああー!すいません嘘つきました、ごめんなさい、でも周囲で我々のやり取りに気付いた人いなかったのかしら、こいついい加減なこと言って老人を行列から外しやがったとか思われて、など若干くよくよ悩むも、もはや遅い。ほんとうにすいませんでした。あのときのうそつきは、この私です、と今ここに記す。


名古屋から近鉄、鵜方駅までの2時間で昨日までのブログを更新などしながら、鵜方駅で親戚のSの車に乗って父自宅へ。ケアマネさんが残してくれたここ数日の経緯を読み、保険証そのほかまとまっているのを確認したうえで救急車を呼ぶ。生まれてはじめて119に電話した。救急車来る。色々聞かれる。意識をなくした経緯、以前の脳梗塞の件、あなたはそのときその場にいたのか、など。けっこう細かいことを煩くしつこく聞く。相手は仕事だから、極力事務的に、必要なことを最小限聞いているということはわかるが、それに対してこちらも必要以上に一生懸命答えようという気にもあまりなれないもので、相手の調子に合わせるわけではないけど、どうしてもちょっとつっけんどんな、やや不機嫌な受け答えっぽくなってしまう。そんなのさっきも言っただろとか、その紙に書いてあるからそれを読めよとか、直接的にではないけどそういう態度に、ついなってしまう感じ。感情的になってるわけではないが、聞かれたことに懇切丁寧で親身に答える態度でもなくて、はあ?何が言いたいの?とか、効率とか合理で進めたいならもっと上手くやんなよ、とか言いたくなる感じ。


救急車の中は狭く、ぎっしりとした機能の集積で、そこに計三人が別々の方向を向いて仕事をしていて、まるで戦争映画の戦車や潜水艦内部のシーンを見ているみたい。大変な仕事だとは思います。たしかにそう。それは人並み程度にはわかるつもり。というか、カッコいい仕事だ。本当に保守運用の一番キツイ世界を堂々とやっている。本当にそう思っている。愛想とか社交辞令とか必要ない。医療はほんとうにそう。救急外来もそうだ。人に優しくなくてかまわない。ひたすら捌いていくのがベスト。そう思います。でも自分が当事者に近い立場だったら、愛想悪い反応をしてしまうことは、それはそれとしてふつうにありえるというだけ。


病院搬送され30分後くらいにまず第一の説明。とくに入院の必要性、緊急性はみとめられない、入院は無いとのこと。こちらがちょっと不服そうな反応だったからかわからないが、説明が一旦仕切り直しになり、一時間ほど経ち、再度説明、さっきより丁寧に話してくれるも、入院必要なしの判断は翻らない。ケアマネさんに電話したら、ええー…厳しいですねえ…、亮太さんも…お辛いですよねえ…とか、ものすごく落胆した声で残念がられる。いやあ、辛いのかどうなのか、よくわからないんですけどね…と、こちらとしてはそんな程度の思いでしかないというか、正直、まあ病院側の言うことも一理あるかも、みたいな感じもするのだが。ケアマネさんとにかくガックリで、なぜかこっちが申し訳ない気分になるが、朝からわざわざ東京からここまで来て、まるで意味がなかった自分がもっとも無意味で残念な人だったとも言えるが、とりあえず明日からの方針を、たびたび沈黙を挟みながらも、なんとか決める。介護用ベッドを入れることと、介護度を一ランク上げることなどその場で決めて、諸々手続きしていきましょうと。


それはともかくその時点で気が重いというか、どうしよう?という悩みが、何よりも今日これから、動けない状態のあの人を、再度あの自宅へ搬送することで、また介護タクシーを呼ぶ必要があるというか、介護タクシーって何?そんなの全く知らないんですけど、こちらの状態としてはそんな感じ。ケアマネに教えてもらった電話番号に電話したら、すいません今日は無理ですの返事、無理って何それ?と思ったけど、仕方が無いので病院の受付に介護タクシーの番号聞いたら教えてくれて、いくつか掛けたらしばらく待ってくれれば行きますとのこと。その後長々と、救急外来の待合室にいた。ひたすら待っていた。この停滞する時間の感じはすごいと思った。こういうの久しぶりだ。ただひたすら待つ。時間の有意義とか無意義とか、そんな言葉以前の、単なるモノとしての時間。外は真っ暗で、そして、雨だった。


介護タクシー。ワゴン車が来た。担架を自動で搭載できるジャッキが付いている。患者は寝た状態のままで移動できる。すげえ。しかしこのタクシー、支払いいくら掛かるのか、父親が声を出す。これ、どこのタクシーさん?運転手答える。個人タクシーですよ、と。個人なのか!僕も聞く。大体いくらくらい掛かります?運転手、ふつうのタクシーより千円くらい高い値段を言う。そんなもんでいいのか!?


家に入る手前の、隣家の物置とブロック塀で仕切られた、間隔の異常に狭くて、車椅子も通常の担架も通り抜けられない道、Sに再度来てもらって、運転手とSと僕の男三人で毛布に包んだ寝たきりの人を運ぶことになる。真っ暗闇、雨、段差高低差の数メートルを、雨に打たれながら進む。足元が暗闇でまったく見えないが、段差があることはわかる。慎重に進むから、皆よけい雨に濡れる。病人も雨に濡れる。しょうがない。戦時下なのだ、これくらいは我慢してくれ。こんな経験を、世界中のたくさんの人々が、昔も今も、たくさんの親子が、今よりもっと厳しく寒い状況下で、何度も体験したはずなのだ。今よりもっと酷い、それはつまり、二人で居て、一人が完全に動けない状態、それをもう一人が何とか一緒に移動しようとするということ。それをしなければ、死んでしまうような状態に置かれるということだ。きっとそうだ。星の数ほどたくさん、そういう二人は現実に存在した。それにしても人間の大人の男一人の、何という重さだろうか。老人といえ人間は重い。とくに上半身側は大人二人でなければとても支えられない。泥に全身を沈めながら、相手の重みに押し潰されながら、それでもその場を移動しようと必死に努力した子供が、きっとこの世界の過去、たくさんいたはす。僕は積極的に介護支援サービスを使いたい。でもそれだけですべて解決はしない。


とか何とか、エライ目に合いつつ、どうにか病人を元の布団に戻して、今日はひとまず終了。こちらはSの実家に泊めてもらう。恒例の長々とした飲み会になって、未明に眠った。