横浜


さっきテレビを見てたらブラタモリで渋谷特集。渋谷駅の銀座線がなぜあんなに高い位置になるのかをはじめて知って衝撃を受ける。ちょっと信じられない。でも何度も乗ってるから自分が一番よくわかってるはずだ。銀座線が渋谷駅のあの高架の上から出発して、トンネルに入って、表参道駅に着く。その間、ほとんど下ってない。で、そのまま表参道駅の地下に到着するのである。それだけ、渋谷が谷底にあるという事なのだ。他所と較べて、ビル四階分くらいの高低差があるのだ。逆に、なぜ今まで僕は何度も銀座線に乗ってるくせに、そこに気付かなかったのか。あんなに高いところに止まって、しかも階段で降りるから面倒くせーなあと思うのは覚えてるんだけど、それくらいしか考えたことなかった。そういう鈍感さ、迂闊さもどうかと思う。


昨日は友人と横浜で飲み。ずーっと楽しかった。二軒か三軒はしごして、そのまま相鉄線沿線の友人宅に泊めてもらう。一戸建ての瀟洒な(というのか?)素敵なうち。お風呂も歯ブラシもタオルもかみそりもみんな出てきてすごい。シャンプーとか見たことないようなヤツでいい匂いだし超いい感じだ。快適そのもの。客間的な部屋に通されて、暖かい布団でいつしか眠った。気付いたら朝で、はっとして起きて、え!?ここどこ??と思ってびっくりして、あたりをきょろきょろと見回す。奥様にご挨拶、というかお詫びする。朝食をご馳走になり、下着もシャツも靴下もおろしたてをご提供いただき、すっかり身支度を整えさせていただき、ここの子みたいな気分になる。それでは色々とお世話になりどうもありがとうございました。ではわたくし会社に行ってまいりますと言って、そのまま手を振って送りだしてくれる友人ご夫妻の姿を背にすたすたと出勤する。知らない町の知らない駅から、乗り慣れない電車に乗って、目的地に向かう。快晴の、朝日のまぶしさと知らない土地の知らない空気がかもし出す不思議な静けさを感じながら、電車に揺られながら見知らぬ風景をぼんやりと見ていた。まもなく横浜に着いて、みなとみらい線ホームに乗り換えた途端、突如としていつもの見慣れた、繰り返しとしての朝が再生をはじめた。まるで途中からいきなり、いつもの通勤途中である自分の流れに、今この自分が無理やり重なり合って割り込んだような感覚。そして同時に、昨日の夜からさっきまでの友人とのひとときが、すでにまるで淡く儚い夢のような記憶になってしまっていた。


思えば人様の家に泊まらせて頂くのも久しぶりだ。僕はけっこうずうずうしいというか、神経が図太いとのだと思うが、そうやって人からもてなしを受けるとき、我ながら呆れるくらい遠慮がないと思う。当たり前のように施しを受け、平然ともらう。多少申し訳ない顔するだろとか遠慮ってものがあるだろとか、そういうのが希薄で、百パーセント、ありがたく受取って、その自分の、幸福そのものな気分を疑いもしない。そして安心して眠る。朝まで完全に熟睡する。目覚めてすっきり。爽快な朝を迎える。いつもより元気で会社に行く。ただのばかなんじゃなかろうか。