駅から水原団地行きのバスに乗る。車内は空いていた。最初は街の中を走っていたが、次第に建物が減って、やがて何もない田畑ばかりの景色になった。それから次第に、急にとってつけたように住宅地っぽい雰囲気になった。そのまま終点の、水原団地のバス停に着いた。団地に囲まれた停留所である。道路の反対側に公園が見える。その奥にいくつかの商店が並んでいて、全体が団地に囲まれた中庭のようになっている。


中庭を突っ切ったその向こうから、また風景が変わって、畑と雑木林以外はほとんど目に付くものも無いような、やけに空ばかり広く感じるような景色である。それでそこから先は、どこまで行ってもひたすら古い舗装道路が長く続いていて、景色も一緒である。車で二十分くらい走ってやっと県道に交わるが、歩きだとかなりある。歩いては無理だろう。


さっきから音が聴こえてくる気がするのだが、ずっと向こうにある県道をたくさんの車が行き交う音が聴こえてくるのだろうか。普通あんあ遠いところの音は聞こえないだろうが、何百台、何千台の車の音が一緒になったら、少しずつゆっくりとでも、かなり離れた場所にも伝わるのではないだろうか。いま聴こえているこの音は、そういう音なのではないかと想像してしまう。空を、飛行機かヘリコプターが飛ぶ音にも似ている。そうかもしれない。近くには自衛隊の飛行場もあるし、管制センターもすぐ近くなのだ。そういう色々な諸事情がすべて、なんだか全部が一緒くたになって、わーんという反響音になって耳を圧迫している。こういう、いろんなものが混ざり合って一個一個は全然判別不可能な、全部がぐつぐつと一つの鍋の中で形もくずれてぐずぐずに煮込まれて、それを遥か遠くから気配と音だけで感じてるような感覚っていうのを、田舎の音と呼ぶのかもしれない。そう僕は、田舎の音が嫌いだ。ことあるごとにその音を聴いてしまって、そのたびに、うわ!田舎の音!と口にするようにしてる。まあそれも最初のうちだけだったけど。いまは ただぼんやりとベンチに座って前を見てるだけだ。何が聴こえてきてもあまり気にしないようになった。


Fがなかなか来ない。僕はバス亭のベンチまで戻って、そこに座って待つ事にした。座って、動かない景色をぼんやりと見ている。この、何もない田舎の景色が広がっている一角に見える、鬱蒼とした森林の塊。よくみると塀で囲われた森林である。あの塀の内側が、Fの家である。何坪なのかしらないが、広大な土地である。そしてその土地のおそらく半分以上が、ここから見えるあの鬱蒼とした木々である。


Fの家は金持ちの地主の家で、あのとてつもなく広大な敷地の中のお屋敷に、両親と住んでいる。一見、深々とした木々の奥にこじんまりと建立された古い寺院かと思うような雰囲気の、おそろしく暗くてじめじめとした、鬱蒼とした家である。


バスの終点まで来て、その停留所で待ち合わせの約束だったのである。でもまだFは姿を見せない。しばらく待つしかないので、僕はバスをじっと見ながら待ってる事にする。折り返して、また駅までの路線を辿るのだ。いま、運転手は控え室で休憩している。出発までの十分か二十分か、掘っ立て小屋みたいなあの控え室の中で、運転手は煙草をすいながら背筋をぐーっと伸ばして上に煙を吐いてふーっとため息をついている。僕はこのベンチに座っているとこれから乗車しようとしている客に間違われないかと思って少し心配である。あたりには誰もいない。子供の声が遠くから聴こえるくらい。でも出発はおそらくまだあと十分か二十分先なのだろう。僕は僕の時間が過ぎていくのを感じながらまだそこにいる。かすかに予感めいたものを感じたように思って、いつものああ、そうこの感じだと思う。さっきから何分待っているのかわかってない。十分か十五分かもしれない。Fがなかなか来なくて、仕方がないので待っていた。道の向こうに、Fの姿が見えた。気付いたときにはもうずいぶんこちらに近づいてきていて、その姿がはっきり確認できた。いつものことながら面倒くさそうに歩いてくる。ああ、来たなあと思う。ああ、何分待ったのだと思う。たぶんいつも大体同じくらいの時間待っている。