夜の樹


色々と読んでいるが全部途中だ。今はカポーティ「夜の樹」という短編集を読んでいる。電車に乗って、窓の外を見ながらしばらくぼーっとして、五分か十分もしてからようやく鞄から本を取り出して、しおりを挟んでいたところを開いて、それからまた、しばらくぼーっと活字を見ていて、そのうち読み始めている。かなりいい感じだ。たとえば下記に引用したようなところ。こういう感じがたくさんあって、ものすごくいい。からだが季節や気候の感触や環境について感じていることのあらわしかたが、簡素であっさりとしていながらも鋭敏で素晴らしい。

ヴィンセントは画廊の電気を消した。外に出てドアに鍵をかけると、品のいいパナマ帽のつばを直し、傘の先で舗道をかたかた鳴らしながら、三番街のほうへ歩き出した。その日は明け方から空は暗く、いまにも雨が降り出しそうだった。厚い雲が空をおおい、夕方五時の太陽をさえぎっていた。しかし、あたりはむし暑く、熱帯の霧のように湿っぽい。灰色の七月の通りには、くぐもった不思議な人声がさまざまに響き合い、低い音になって聞えてきて、人をいらだたせる。ヴィンセントは海のなかを歩いているような気分になった。五十七丁目を通って市内を循環するバスは、腹が緑色の魚のように見えるし、人々の顔は波のあいだを漂う仮面のようにぼんやりと現れては左右に揺れる。「無頭の鷹」新潮文庫118頁