花影

大岡昇平「花影」を読む。1961年刊行。今読むとむしろ新鮮に感じられるような、完全な三人称視点、各登場人物たちについてきっちりと説明する上位視点のありよう、「…だった。」「…のである。」的なわりにくどい感じもする説明の連続。しかし葉子の、客と軽口を叩きあうものの言いかた、経営者潤子の、キツイ感じなど、登場人物たちの言葉遣いがすごく生き生きとして魅力的で、それだけ聞いてたら、それこそその当時、五十年代の日本映画を観てるようだし、そんなイメージがいくらでも思い浮かぶ。しかし、やはり古臭いなあと、昭和っぽさ、一世代以上前に流通していた安いドラマ的な匂いを感じなくもなかった。ただ人物のしぐさや様子をあらわす描写力、観察力のすごさには目を見張る。掛値無しにすごい。すさまじく正確で的確な正攻法のデッサン力という感じ。

そして読み終わってみると、たしかに古臭いのだが、しかしやはり旧いものの完成度の高さにおいて、すごいと思った。日本文学的滅亡の美学というか、旧き良きスタンダードナンバーのようだ。この話は、結末がこうなるというのははじめからわかっていて、そのうえで最初から最後まできっちりとブレなく書かれている小説だと思う(ただし僕は本書についての前知識がなく読んだので、結末を知ってけっこう驚いたのだが)。

終盤にきて、おさらいのために前ページにさかのぼって適当に読み返してみれば、冒頭からその符丁、フラグ、伏線はいたるところにある。それは仕掛けとして企まれているというよりも、きれいな飾りのようにところどころにちりばめられているといった感じで、その飾りのきれいさ、はかなさ、が、後になって余韻のようによみがえってくる。花影という作品タイトルからして、後から思い出されたときに、かえっていっそう鮮やかなイメージになってよみがえる、そういう効果がある。つまりおそろしく精緻に完璧に造りこまれていて、文字で書かれてすでに凝固した一個の小説としてのつくりとして、ほおーっ。これは…と感心してしまうようなものだった。