肺活性


それなりに何か書いたというような自分の内側の感触というのか、予感というのか、そういうのがあっても、ブログにあげてしまえばひとまずそれで終わってしまって、その後何日かして読み返しても、少なくとも自分としては、たしかにまあまあ少しは面白くなくはないと思うにせよ、そういうこと以前に、読んだものの出来合いの感じが強くて、すでに可塑性ゼロの、もはやそれを今以上に手が入らない感じに思えてしまうのが、どうにもつまらない。最近はそう思う事がよくある。こんな事ならまだもっと、自分の手元に置いておいた方が良かったなあと思うことが多くなった。ほんとうなら一ヶ月でも二ヶ月でも自分だけの暗い場所でこねくり回してないと駄目なのだろう。同じ失敗でも、腰が引けて失敗するのとやりすぎて失敗するのではやはり意味が違って、今は画面上の絵の具が完全にどろどろに混ざりきってしまってどうしようもなくなって失敗するみたいな感触をなつかしく思う。ブログも何年もやってると一日の単位で刻むリズムパターンがあまりにも身に付き過ぎてしまって、これがある意味じつに良くない作用をもたらす。でも手元に置いておくと、それはそれでまた、何日も経ってしまって、当時の感触を忘れたまま腐らせてしまうこともままある。失敗にすら至らない途中経過が手元に山積みという状態。そっちの方がまだ地球環境にはやさしいのかもしれないが、まあいずれにせよ、なかなか難しいのところだ。要するに何を大事と思っているのかということでもあるが、やはりブログを書くなんていうのは、結局は完全な孤独状態ではないぶん、そのつもりはなくても知らず知らずのうちに今いる水の温度に慣れてしまうのだろう。そうして持久力というか潜水状態を維持できるだけの肺活量が衰えてしまうのかもしれない。そこを自覚して、今の状態のままその部分を強化しないといけない。