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2008年は良かった。仕事をしていた。ブログを書いていた。毎日、部屋に季節の花がいっぱいに飾ってあった。今はもう、それぞれ散り散りの、離れ離れになってしまった友人達が、当時はまだ一緒だった。もうずいぶん昔のことのよう。皆で、毎日飲み歩いて、また明日と言って、その日を終えた。あんなに瑞々しくて、活気のある日々はもう二度とやってこないだろうな。


1998年は良かった。仕事を始める前の年で、日雇いのバイトなんかをしながら毎日呑気に暮らしていた。当時聴いていた音楽はどれもこれもみんなすごく良かったな。なんでだろう。べつにこれといって素晴らしい名盤のリリースされた年っていうわけでもないのに。なぜか1998年だけを、すごく良い年だったと思いこんでる。具体的に何があったの?どこが良かったの?と言われても、何も答えられない。でもまあ、よかった。なにしろのんびりしていたよ。のんびりとした最後の年だ。


1988年は良かった。小平、国分寺三鷹のあたりを行ったり来たりしてた。美大に行くために、毎日石膏デッサン。睡眠不足と情緒不安定。鬱屈。甚だしき自家中毒に陥っていた。しかしそんな僕にお構いなく、周囲に広がるものすべてはまったくあっけらかんとして、平然とうつくしく輝いていた。その日も、次の日も、次の次の日もそうだったので、だからやはり良かった。


1978年は良かった。一年生のときに加減がわからずついやり過ぎてしまった事の反省とか、程良くまとめるコツみたいなものをようやく掴み始めた頃で、ずいぶんもっともらしくさまざまな事を上手くこなせるようになってきた。ちなみに僕の父は絵を描く人だったので、小さい頃から絵を描いてる人が身近にいる環境で暮らしてきたけど、二年のときの担任はB先生という中年の女性で、図画・工作の先生だったので、僕はそのときうまれてはじめて、父以外に絵を描く人物と出会ったのである。遠足か何かで牧場に行ったとき、B先生がスケッチブックに鉛筆で描いた牛の絵は、それが良いとか悪いとか思う以前に、とても印象的で、あれから30年以上経った今でも、まだぼんやりと思い出せるほどだ。


1968年は良かった。僕がこの世界に生まれる三年ほど前のことだ。まだ父と母は上京してきていないのだろうか。いやそれどころか、まだ結婚していないだろうか。結婚はいつだったっけ?あまりよくしらない。まあ、それはともかく、埼玉の田舎の田んぼの真ん中に借家の一軒家ができた。そこに誰かが住んでいた。そして退居した。そしてまた誰かが住んだ。空を飛行機が飛ぶジェットの爆音。近くに入間基地がある。電線が空に引っ掻き傷のような鋭い黒い線を引いている。犬の散歩をしている。長距離トラックが走り行く。まったく昨日と同じように、今日も穏やかな、いつもどおりの日々だ。しかしこの時点では、まだ何も始まっていない。たぶんこの後、いまから何年後かに、今住んでる人が次の更新前に退居して、しばらくしたらまた、誰かがここに入居してくる。三人家族である。子供はまだ二歳か三歳である。その子が小学校に上がるくらいになって、その家族もまたいなくなる。またしばらくして、誰かが入居してくる。こうして何年か過ぎて、何番目かの入居人が、郵便ポストの名札の枠にSAKANAKAと書かれた紙を挟む。