三重


週末は図書館に本を返す。あと新しいコートを買おう。買うならもっとちゃんとした店で見よう。いや、でもやっぱり買わないかも。新宿がなあ。あと、借りてきたDVDとか買ったDVDとかをいいかげん見ないとたまる一方だ。いや、うそ、何も買わないかもしれない。今日は12月7日です。寿司か天ぷら屋に行きたい。冬の夜といったら、いままで何が楽しみだっただろうか。こんな内容でも、こうして書いててそれなりに意味あるのかな。ところで僕は、父方の祖父と祖母に会ったことがない。どちらも早くに亡くなっている。戦中に死んでたと思う。僕の両親はどちらも三重県出身です。三重から出てきて、最初国分寺に住んで、そのあと埼玉に住んだ。僕は埼玉からしか記憶にない。子供の頃の自分にとって三重県は夏休みに行くところだった。しかし三重県は遠い。行くのは、金も掛かるし。往復したらコート一着分なんて軽く飛ぶし、休みの調整も面倒だし二日間潰れるし疲れるし、色々どうしても億劫になる。でもまた、しばらくしたら行くか。三重県も、やっぱり若いうちまでは良かったのだ。働く前までは際限なく、だらだらとビール飲んで煙草吸いながら何日も何日も散歩して。今はもうあんな風には過ごせないんだろうな。でもなぜ、そういう風に過ごせないのか。過ごしたっていいじゃないか。それは一体何の理由でそうできないのか。誰のせいなのか。僕のせいなのか。なんかおもしろくないなあ。でも若い頃は面白いのが不満だったと言う気分もあった。こんなことを面白いと思っているのは、何か間違っていると思うような、早く人並みに常識を身に付けなければというような気持ち。常識で見たら、こんなことは決して面白くないはず。というような。果たして僕は今や常識を身に付けたのかどうか。でも当時の思い通り、たしかに昔よりも、面白くなくなった。それはどうやら、たしかだったようで、その予測は正確だった。正確に予測できる程度にはすでに人並みだったのだろう。しかし何の話だよ。