当然そうなると思っていたはずだ。
そうじゃないと、筋が通らない。
金を出すってのは、要するに、離れたくないってことなんだよ。
尊敬の気持ちがあるから出すんだ。
同情とか、かわいそうだからとか、そういう理由では金なんか出さない。
もっと打算で出してるんだよ。
でもそれで、逃げられてしまうなら、それはしょうがない。
ふられたって事だよ。
それならそれで、あきらめるしかないじゃないか。
そういう考え方だよ。
死ぬときの
生き埋めになったときの、絶望感。
もし、生き埋めになったら、あまりの絶望感で、たとえ鞄の中に弁当が入ってても、もう食わねえだろうなあと思う。
でも、それでもやっぱり、何時間かして、腹が減ったら、ごそごそと、食うのかもしれないなあ。
どうせなら、一息に死にたいものだ。弁当の時間になる前に。
天国の女性担当者。
はじめまして。こちらで所定の用紙に記入して下さい。
いよいよここは天国だ。
自分の両腕と両足が、どうも様子が変だ。
自分の身体から、単にぶらさがっているだけだった。まるで四本のだらしないゴムみたいに。
ちゃんと自分の足で立っているし、手を見ても普通だけど、なぜか感覚が違う。
手や足は、もっと、中に働きのパターンをしっかりと蓄えてあって、色々な動きにしても一々その場で動くわけではなく、もっとはじめからよくわかっていた筈だ。全然無意識に動いていたはずだ。
それがなぜか、ぜんぜん事前の溜めがないのだ。
力が入らないわけではない。手も足も、ちゃんと意志の通り動くのだ。しかし、その動きが、気持ちとつながってないのだ。というか、気持ちとつながるなんて意識した事が今までなかったのに、意識しないとつながらないのだ。
だから、手を動かす事で得られる期待感というか、未知への好奇心や欲求のようなものが、今まで通りではなく、切れてしまっているのだ。
手足は、軽いのだ。でもそれが、目の前の女性に触れようという、あの懐かしい気持ちに手が促されるということはないのだ。
目の前の女性は、天国でぼくを生活支援してくれる担当者である。