w/The Artists


W/the Artists


 すごい空であった。青すぎるし、雲は白すぎた。ふたつが鋭く、痛いほどつよくぶつかっていた。建物の壁は、炎の柱のように裂けていたし、影はもうひとつの黒い建物が建っているようだった。そのなかを歩いている自分は無理をしている訳でもなく、こうして歩いて行くことは意外と可能なのだと思った。木々の下にいると、光と影がめまぐるしく切り替わり、水のなかにいるのに近い。そしてプールで泳いだあと、買い物をした。プールの水の濁りは、昔からこんなに見えないものだったか。ゴーグルが曇っているのか。

 ワインは、以前に買ったことのある銘柄をもう一回買ってみたその理由は、けっこう高いやつで、以前はすごく美味しいと思ったものだが、あれから数ヶ月、いろいろと飲んできて、今でもそれを、やはりおいしいと思うかどうか、再度確認してみたいと思って、飲んでみたところ、これはやっぱり、うまーい!!という感想だった。

 その他、マリネやローストビーフなどで。

 妻は今日の朝4時前からテレビを見るそうだ。オリンピックの陸上だけは、熱心に見る人である。今はもう寝ている。3時半くらいになったら、起きてくるらしい。あと4時間後。私は、寝る。

 Usain Bolt(Usain St. Leo Bolt, 1986年8月21日 - )の表情をみていて、なにかどこかで、見覚えがあるな?と、思うことが、たまにあった。今日、それを思い出して、それはもしかしたら、ジミヘンかも。と思った。

 Jimi Hendrix(James Marshall Hendrix、1942年11月27日 - 1970年9月18日)のビデオ映像はもう、僕は若い頃、さんざん見ているのだ。VHSのビデオでたくさん集めた。酷い画質のものも多かったが、片っ端から見たし、好きなものは何度も繰り返し見た。あれを、ひたすらみていると、結局、演奏とかステージの様子とかと同じくらい、そこに映っている人の表情の印象が、記憶に刻まれることになる。そして、そこに映っているその時間のことを考えるようになる。ステージの床を踏みしめている靴の先とか、何もない空間のざらついた黒い闇のことなどを。

 Jimi Hendrixは演奏中に、かなり感情を、表情豊かにあらわしてギターを弾くので、いわゆるクールにプレイしたいギタリストからみたら、あれほど暑苦しいプレイヤーもいないだろうというくらいのスタイルであるが、ずっとみているとむしろ、そういう顔じゃないときを、よく覚えてしまう。ふとよそ見をしているときとか、様子を確認しているときとか、
そういうときの表情である。大きな目で、きょろきょろしている。面白いことか、面白い話か何かを聞いて、はははは、と笑っている。そして、その後の、何もない瞬間。会話でもなく、反応でもなく、ほとんど何も生じてない、人やモノの連携が連続しているはずのこの時間の流れの中の、常に、無数に、ほんの少しだけ生じている、何とも接続していない時間の、そのときの表情というものを、同じ映像を何度も何度も連続して見続けることで、そういう部分に気付いてしまって、そこだけを記憶に刻んでしまう。

 Jimi Hendrixは、そしておそらくUsain Boltもそうだろうが、彼らはぼんやりとしたり、周囲の様子をきょろきょろと確かめたり、人と談笑したりして、その都度、表情を浮かべながら、最終的にはいつか必ず、仕事に戻る。そういう顔になる。そういう無表情になると言っても良い。とてつもないプレッシャーの、もし失敗したら決して取り返しのつかないような、ほんの少しでも悪い要素が見つかったら、もう苛々してしまって、落ち着いていることなど到底できないような、そのくらい過酷で困難な仕事を請け負う。だから、それを背負っているときの顔は、ほとんど常に不安と苦痛で、歪んでいるか、ぜんたいが鈍く鬱血したようになっている。皮袋のような顔。生きている時間のほとんどを、その表情だけで、人生を、こことは別のどこかへあずけて、実現の、出来の瞬間を、返信として受取るまで待機して過ごす、そういう時間を生きている、若い黒人男性の、あの顔。それを、ひたすら映像で見つめていたときに気付いたことを思い出させたのが、Usain Boltである。

 書く前に、書きたいことはほとんどないので、書く前は面倒くさい気持ちが強く、書き始めてからも空しさにしばらく耐えざるを得ない。しかしそのうち回転がはじまって、とにかく何かが出てくる。書いていることで、いろいろと出てくるものはある。そこに、あなどれないものはある。ただしことさら貴重に思うほどの価値はない。単にみておくだけだ。でも見ておくだけ見ておくだけでも、それが一個仕事のようになるのは、とりあえず救いである。そこから、待機の余地がうまれる。待機の余地が無いことには、なかなか退屈する。

 これからまた少し飲むのかもしれないと思って、しかしそうして冷蔵庫を開けてボトルを持ち上げて残りをみて、ワインなんてすぐ無くなってしまうものだと思って失望して、これ以上は勿体無いと思って、ケチくさい気分になる。買っても買っても飲んでしまう。果物だとまだ、買って食べると、身体に入った感じがするけど、ワインはもう、どうしようもない。すぐなくなる。

 日中に撮った空の写真をさっきみていた。ものすごい色なのだ。この濃さは季節特有のもので、これはこれならではだな。

 昨日、真夜中にRhythm & SoundのKing In My Empireを聴きたくなって、少し大きめの音で聴いていた。夏だとこれを聴きたくなる。というか、昔は、夏だからこれを聴きたくなるとか、夏向きだとか、そういう発想はまったくなかったし、そういうのをつまらない考え方だと思って侮蔑していたものだが、最近はじつに平然と、夏だからとか、そういうことを思う。夏にダブを聴きたくなるとか、あまりにもわかりやすくて恥ずかしいほどだが、そう思ってしまうのだから仕方がない。

 Cornell Campbell(born 23 November 1945, Kingston, Jamaica)はキング・ダビーのコンピレーションとかで数曲持っているだけで、でもどれもすごく好きで、レゲエをとくに好きな訳ではないのにCornell Campbellの声はやっぱり素晴らしいと思ってしまう。それで真夜中から色々とオンラインストアを物色しはじめて、結局iTunesでCornell Campbell Anthologyという39曲も入ってるやつを買った。これで900円だからかなり安い。

 今日の午前中は、Cornell Campbellを聴いた。でも全部聴き終わらない。39曲だと全部で2時間以上もあるのか。

 冷えたワインを入れたグラスがしっとりと細かい水滴を浮かべているのを見て、残りの液体を飲み干しながら、グラスの底の湾曲した内側をじっと目で見ていると、ぐるーっと丸く景色が歪んでいて、ここにまた新たに注ぐかどうかをしばし考えるようになっている。

 Cornell Campbellもいいけど、やはりRhythm & Sound の w/The Artistsはすさまじく素晴らしい傑作アルバムであるなあ。これは、今までもこれからもずっと聴くだろう。