1. 天気は晴れ。けっこう気温が高くて、歩いていると汗ばむくらい。平日の午前中の電車の中。
  2. 春先から夏あたりまで通院していた病院から電話があって、支払いが少し残っているらしいので、金を払うため、ひさしぶりに、その駅に降り立ち、病院までの道を歩く。
  3. 会計して病院を出た後、平日の日中にしか開店していないそば屋があって、ひさしぶりにそれが食べたいと思って、秋葉原に移動。秋葉原勤務のときは週に三回とか四回、この店のそばを食べていた。これが、普段食べられなくなると禁断症状が出て、こういう、平日に休暇みたいな場合は、こうしてわざわざ、食べに行くのである。まあ、食べ終わると、こうしてわざわざ、来るほどのものでもないような気がするのも、いつもの事である。
  4. そして、食べ終えて店を出た時点で、まだ午前中である。
  5. 今日はなぜか、このままうろうろしないで、じたばたもしないで、かといって、真っ直ぐに家にも帰らずに、今のまま、普通に、どこか外にとどまるという、一日をかけた実験をするつもりなのである。家の中にいるのでもなく、目的があって外を移動するのでもなく、外にいるという事だ。
  6. 本数冊と、キーボードを鞄に入れている。それで一人で、一日を過ごそうという試みだ。
  7. とどまって、ある程度まとまって、何か読む。あるいは、何か書く。ということだ。
  8. まずは秋葉原から上野まで歩いた。一時間くらいかけてゆっくりと移動した。この時点で、もう、ちょっとまずいと思う。散歩が目的ではないのだ。散歩とか移動が目的になって、そのために時間が流れていくのでは、だめなのだ。
  9. 今のまま、普通に、早くとどまる場所を見つけないといけない。
  10. そう思うと、今度はとどまる場所を見つける、という目的が、いきなり前にせりあがってきてしまう。これも駄目だ。そのためにうろうろと徘徊する。それでは失敗なのだ。
  11. 昔、上野勤務の時代に昼食後によく行っていた喫茶店に、久々に入った。美味しくもまずくもない安いコーヒーを出すチェーン店である。店内をみると、当時(三、四年前)にいた従業員が、まだ変わらずに働いていた。へえ、と思って、驚いた。別に知り合いでもなんでもないので、声をかけたりすることもないが、お互いにはっきりと互いをわかったのではないかという予感。でも、三、四年くらいなら、普通にいるものか。上野の繁華街の中心あたりは、やはり店も出来たり無くなったりの回転が激しく、三、四年くらい続いていると、かなり長続きしている印象ではある。もっとよく行ってたもう一軒の店は、既になくなってるし。
  12. で、そこでコーヒーを飲む。さて、ここに今日はずっと、とどまれるか。
  13. そのまま、三十分で出てしまった。やはりなんとなく、無理なのである。三十分でも、かなり頑張った方だ。
  14. そのあと、やはり上野勤務の時代に毎日のように行ってたコンビニに立ち寄る。ここに入るのも、三、四年ぶりのはずだ。店に入ったら、いきなり、ものすごい懐かしさというか、眠っていた記憶がいくつも呼び出されてきて、たじろいだ。また、ここでもやはり店員が、一人は知らないがもう一人は、ああこの人あの人だ、と感じさせられる、過去の記憶がふっとかたちになって現れたような感じでレジカウンターの向こうにいた。
  15. そして、やはりこれはこれでまずいのだと思った。これだと、単なるノスタルジーに浸った、感傷的な行動ということになってしまう。そういう気分を味わうのが目的になってしまうので、それはやはり、それで違うのだ。
  16. 上野にいるのは、上野をよくわかっているからである。なおも移動を続ける。とどまるための移動を。
  17. その頃、よく夕方から夜にかけて、オフィスを出て一息つきに来ていた小さな公園があって、そこに向かう。適当なベンチに腰をかけて、あたりを見回す。
  18. …やはり、とどまれないと思う。ここにじっとしているしかない状況が来るまでは、ここにじっとしていることができないと感じる。
  19. ここに強制的に居なければいけないような事態というのも、人生には充分に考えられるのだとは思う。しかしそれを今日あえてやるのが目的ではない。まだもっと、自然にとどまる必要がある。
  20. これは家の中ではない場所で、家に居るのと限りなく近い状況に自分を置く実験なのだ。
  21. また移動。とぼとぼ歩いて、不忍池のほとりまで移動。…やはり一々、移動時間がかかる。もう午後を過ぎている。かなり歩いてしまった。これだとほとんど、散歩がメインになってしまっている。今のところ、早くも既に結果が良くない状態だ。とにかく早くこうではないモードにならなければ。
  22. 不忍池もやはり、難しい場所だ。ベンチはあり、人も集っている。人が無目的に、いやそれぞれの目的を不可視の状態にしたまま、思い思いに集う事のできる場であることはたしかだ。
  23. しかし、そういう場でやはり、今の自分は、そこに居られないと感じてしまう。ここも駄目だと思う。ベンチに座りもしなかった。座れるベンチを見出す事さえできない。
  24. また移動。そのまま歩いて、上野公園に入っていった。…かなり疲れてきた。これだけ疲労してしまっている時点で、壊滅的に実験失敗である。これでは完全に、外出して疲れた。というだけの結果になってしまう。
  25. 公園の噴水がある場所に来て驚く。上野公園って、今はこんな状態になっているのかと。
  26. 博物館を正面に見据えて、左右にスターバックスとあともう一つ別のカフェがあって、それぞれ人がいっぱいいる。カフェは店内とテラス席と両方あって、テラスは今日みたいな日だととても快適そうだ。
  27. とりあえず、店に入る。5分くらい待って、席に通された。
  28. やはりというか、まあとりあえずと思って、ビールを注文する。ぐっと飲み干すのではなく、少しずつ、口元を湿らすように飲む。とくに美味くもなく、座っていることの安心感や落ち着きもない。
  29. 日差しと少し冷たい微風が、身体に気持ち良い。しばらくぼーっとするしかないように思う。しかし、しばらくぼーっとした後は、もうぼーっとできなくなる。
  30. 仕方がなく(本当に、仕方がなく)本を取り出して読み始める。ロブ・グリエ「もどってきた鏡」。先日ちょっと読んで、最初の書き出しに何か面白さを感じていて、続きを読むつもりで持参したもの。
  31. 面白いと思う。読み進む。
  32. そしたら、30分かそこらで、飽きが来た。というか、集中力が切れる。気付くと、目が字を追ってなくなっている。意識が完全に、別にいってる。まだ三ページくらいしか読んでない。
  33. 別の本を取り出す。開高健の短編「玉、砕ける」を読む。これも素晴らしい書き出し。
  34. ところがまたもや、半ページで、やはりだめ。冒頭がすごく素晴らしいのはわかる。しかしそこから、読んでる自分が別の流れに渡れなくて、そこで落ちてしまう感じ。
  35. 現時点で、着席してから、一時間ちょっと経過している。とどまるという事のはっきりとした困難さとの戦いになる。
  36. 動きたくなってくる。移動したいのだ。なぜそう思うのか。わからないが、とにかく移動したい。移動さえすれば良いのだと思っている。なぜ、そう思うのか。ずっと昔から、そういう風にばかり、考えてしまうのだ。いったい、なぜなのか。とどまるのだ。今日はそのための実験なのだ。とにかく、とどまるのだ。今、頑張らないと駄目だ。そう思って耐えようとする。
  37. そうだ。ビールをもうひとつ、注文すれば良いのだ。一杯を今まで、一時間かけて飲んだ。だからもう一杯を、もう一時間かけて飲めば、それだけまだ、とどまることになるではないか。
  38. …しかし、こんなまずいものを、もうひとつ注文する意味がわからない。
  39. もう、何もいらない。
  40. なぜなのか。なぜなのか。
  41. 葛藤のあと、立ちあがってしまう。レジに向かう。会計をしてしまった。また移動する。…もちろん次の目的地はある。あるのだ。
  42. 西郷隆盛像のほとりに来た。最終到達地点のはずだった。
  43. ここにも、たくさんの人がいる。ジャンパーにジャージ姿の老人が、さっきから僕の近くを落ち着き無くふらふらと行ったり来たりしている。若い人も中年もいる。このまま僕もここにいようと思う。
  44. しかし、ダメだ。寒いのだ。日が暮れかけてきて、しっかりと空気が冷えてきていた。ジャージ姿の老人もブツブツと小さな声で独り言を言っているのだ。寒いなあ、ちくしょう、寒いなあ、そう繰り返しているのだ。
  45. ここにもとどまれない。そう思うと、なぜか安心するのだ。まだ移動しなければいけないというのが、助かるのだ。目的を与えられて、いそいそと歩く。こんな時間になって、もう日が暮れてきたとしても、目的がほしいのだ。
  46. 湯島駅まで歩く。出口傍らの喫茶店に入った。またコーヒー。
  47. 妻から連絡が来る。今いる場所を教えたら、五分くらいであらわれた。ふたりで店を出て、御徒町駅まで歩き、山手線で池袋に向かった。吊革に掴まって立っている自分の全身を、かなり深い疲労が包んでいる。
  48. 池袋に到着。時間は6時前。
  49. 池袋に来た理由は柴崎友香×qp×古谷利裕トークイベントのため。7時半からだから、まだ時間がある。一時間くらい待たないとだめ。
  50. ジュンク堂の向かいの喫茶店へ。またコーヒーを注文。腰掛けたら、全身の疲労感がじわっと滲み出してくるようで、思わず深いため息が洩れる。
  51. 喫煙席のスペースが大きい店だと思う。池袋って、若い学生が多いからだろうか。学生ってやはり、喫煙者が多いのだろうか。最近は、そうでもないのか。そういえばさっき公園にいたときも、誰かの吸うタバコのにおいが、すーっと風に運ばれてきていたのを思い出す。
  52. 冷たい秋の風に、タバコの煙がのって、香ばしい香りが鼻の奥に燻る。
  53. 7時を過ぎたのでジュンク堂に行く。本棚の前で、本を見るでもなく、ただぼーっとする。
  54. 7時半になって、イベント始まる。拍手で迎えられた。
  55. 会場の椅子は古めかしい木の椅子だった。背凭れが大きく傾いていて背中が楽だ。しかし、固い椅子で、今日は座っているだけで疲労が蓄積する。
  56. 古谷さんが自作について、撮ったときの事などの話をされている。それを聞きながら、ふっと気持ちよくなってきて、一瞬意識を失いそうになる。
  57. せり上がる斜面と、光と影。
  58. 柴崎友香さんの公園のパノラマ写真を見たときは、スーラの絵を思い出した。しかしスーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は、みなほぼ一方方向を見ているので、厳密には似てない(ちなみにこの絵はいつも、僕に葛飾区の水元公園を思い起こさせる)。人やモノが、あっちこっちを向いてるという意味では、ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレット的か。しかし、あの絵では椅子があまりたくさんないから、また違う。写真では、置かれている椅子の背凭れの方向が、それぞれ、ばらばらに点在していて、それが良かった。
  59. イベントが終わって、立ち上がった。ややふらついた。
  60. 今日はしかし、ほんとうに疲れた。ものも云いたくないほど、疲れた。
  61. 今すぐにでも、横になって眠りたい。
  62. 明日仕事なんて信じられない。
  63. 実験は失敗した。しかしこの経験を、価値あるものとしなければ。
  64. 子供の頃、朝から晩まで、一日中遊んでいて、夜になってへとへとになって帰ってきたときの感じを思い出す。全身がへろへろで、全身が埃と外の匂いにまみれていて、鼻の中も口の中も、どろどろの埃と土と砂と塵芥だらけ。
  65. 帰りのバスの中で、公団住宅のぼんやり室内の明かりを写しだしているそれぞれの窓をぼんやり見つめていながら、qpさんがイベントで言っていたことを思いだしていた。「こんな場面、ふつうに出くわすことができるものですか?写真に撮れるものですか?」という質問に「いや、撮れますよ。」と、当然のように答えていて、そりゃあ無理でしょ普通。と、そのときは思ったのだが、こうしてぼんやり、他人の家の窓を見ていると、予想外なことに、意外と窓の向こうに人やモノは、目的や流れのよくわからないまま、それなりに色々と動いていて、もし今、カメラを持っていたとして、このままここで、あの窓を狙って、三十秒も待ってみたとしたら、それこそ普通に「何だよくわからないけど変な瞬間」というのは、当たり前のように目の前を訪れる可能性が、決して少なくないものかもしれないと、そのときは実に納得できるような予感を感じた気がした。
  66. そういえば、iPhone5はたしかにパノラマ写真の機能が付いていた。まだ試してないが。
  67. 家に着いて、まずは一言つぶやいてしまった。歴史上、もっとも手垢に塗れた、例の言葉を発した。
  68. 「やっぱり家が、いちばんだなー!」
  69. 風呂に入ったら、生き返った。蘇生したような思い。すべてがみずみずしく甦った。
  70. 軽く食事して、昨日のプィィ・フュイッセの残りを飲む。これが残っていてくれたおかげで、ひとつの命が救われた。
  71. 一口飲んで、香りが鼻腔を上がってきて、そのまま呼吸を止めた。琥珀色の液体を無心に見つめた。