今日は10度もあって、たしかに朝から10度らしいしっかりとした立ち上がりのよさが感じられた。電車の中は普通の、ドアの内側へ強く鞄をお引き下さい、ドアが閉まります、とのこと。東横線が運転見合わせになったらしく、復旧の見込みはその時点で不明だった。会社では誰もが定時内に到着しており、17:00からの打ち合わせは予定通り開催されて、ことのほか順調だったため17:30には自席に戻った。夜の時点でも計った結果としては平熱の11度前後に終始しており、かなり過ごしやすい気温だったと言える。千代田線が、五分遅れたことを、深くお詫び申し上げますと車内アナウンス越しに告げられる。明日からはさらに暖かくなり、手元の天気予想では予想最高気温が13度。そろそろ春のコートが出番を迎えるはずとのこと。それならそれで良いが、結局のところの、落としどころがどのあたりになるのかが、まだ曖昧なため、これが積年の悩みでもあり恨みでもあり、組織内の病巣とも呼ばれている誰もが忌み嫌う領域らしき箇所に、澱のように畳み重なって澱んでいるのがどうも気になる。

二月になって東部に出た。クリーニング事業は売却して、ニューヨークに居を移すつもりだった。だが三月にはアメリカにも戦争がやってきたので、予定が変わった。中西部に移り、共同経営者に全権をまかせた上で、軍の士官養成所に入ったのだ。これが四月上旬のことである。戦争が到来して、どことなく安堵した青年はデクスターばかりではない。感情がもつれて蜘蛛の糸のようになった日常からの開放として、何千という若者が大戦を迎えたのである。

フィッツジェラルド「冬の夢」