金曜日の夜の七時半ごろに新宿に着いた。待ち合わせ時間は八時半なので、それまでツタヤに行く。「イヤー・オブ・ザ・ホース」と「まぼろしの市街戦」を借りる。ツタヤを出て、店の前でKとNを見つけて、入って一番奥の席に座る。小さな店内がほぼ満席の感じ。賑わっている。アラカルトで注文する。イタリアワインは明確。そしておいしい。


11時過ぎに店を出て、終電までの少しのあいだ二人を誘ってもう一軒行く。じつは行きたいと思っていた店へ。まだ結婚前の、会社勤めする前(勤め始めた直後?)に、夜な夜な通っていた店で、しばらくしてまったく行かなくなり、月日は流れて、店自体は今でも存在しているのは知っていたが、今そこがどうなっているのか見たかった。かるく十年以上前のことで、僕もまだ二十代で、カウンターだけの小さい店で、金曜日の夜など、朝までいるような事も多かった。一人客が多くて、その場限りの知り合いになってしまうパターンも多く、音楽の話とかどうでもいい話を店の中にたまたま居合わせた何人かで延々話したりとか、そんな記憶がぼんやりとあるが、細かい話の中身とか、相手の顔とか、そんなのは実際もう、ほぼ完全に忘れていて、楽しかったというか、酔っているとき特有の、気が大きくなって、勢いがよくなっているときの、妙に元気で妙に投げやりな気分だけが、その店の中の雰囲気とともにぼやっと浮かんでくるだけで、今となっては、ただ酔っ払って夢でも見てたのではないかと思うような感触でもあり、そういう記憶の確かな証拠というか、もう少し具体的な手触り感のようなものを確認するために、現実の場所をふたたび見てみたかった。


で、ついに地下へ続く階段を降りて、店に入ったら、思ってたのと全然違った。いきなりこの店内を見たら、過去に何度も来たその店だとは思わない。しかし、場所も店の名前も、確実にここだ。働いてる人が前と違うのは、それはまあ当たり前だろうとも思ったが。やはりこの十数年のあいだに、働く人も変われば、内装も変わって、色々と変わったのだろう。うつわとしての店のかたちと名前だけは残っているが、それ以外の中身はぜんぶ変わったということか。まあ、そりゃそうかと思って、ふつうにつまらない気持ちで店内を見回していた。


というか、しかし。・・・いや、もしかしたら、じつは、この方が正しいのではないか?僕が違うのか?現実は最初から、こうだったのだろうか?見ていて、どうもこの店の感じは、これはこれで、つい最近でもなくて、ずっと今まで、こうしてやってきたのだというような雰囲気はあって、カウンター内の人と客が喋りあってる感じもある意味過去のままで、僕の記憶の方が、僕の捏造というか、本当はこれが現実なのに、そうではないものを本当だと思い続けてきた可能性もあるのか。


というか、もしかしたら、あのカウンター内の女性は、十数年前によく色々喋った、あの女性と同一人物だったりする可能性はあるのだろうか?そう思って、ちょっと呆然とする。しかし、いや、いくらなんでも、それは絶対にない。あまりにも違いすぎる。とはいえ、しかし十数年分の歳月が、人をあの雰囲気からああいう雰囲気にまで変えてしまうこともあるのかもしれない、というか、そういう可能性が、まったくないとは云いきれない。でも、見た目はともかく、声や喋り方が、まったく違うから、さすがにあれは別人と思っていいのではないか。かりに別人じゃなくて、じつはあれがこれだった、としても、それはもはや、僕にとっては別人、という扱いで考えてしまっても良いのではないか。そういう意味では、このことで僕の記憶は、僕の中だけの捏造でしかなかったと思ってしまっても良くて、実際にそうだったのかはともかく、もうそれは無くなって、そのときの人も存在していないということで良くて、それを確かめることができたという意味で、目的は果たされたということになる。まあいずれにせよ、面白いことは何もなかった。面白くもつまらなくもないというのは、面白くないものだな。


0時を過ぎて会は終了。しかしこの三人で二ヶ月に一度くらい、こうして集まるが、よく考えると、この三人で集まる理由はあまりない。単に飲み食いしたいだけで集まっている。もう二年くらい前からやっていると思う。その前は他にもメンバーがいた。一番最初の頃から考えると、もう4、5年前のことかもしれない。当時はまだ会社が東上野にあって、韓国街が近かったので、焼肉を食べに行ったのがはじまりだった。その後も主に肉を食べる会として継続した。しかし僕がやたらとワインを飲みたがるようになってしまい、選ぶ店の傾向もそちら側に推移しつつあり、支払金額も以前よりやや高まり傾向にあり、それは主に酒の注文権を行使している自分に責任があるのだが、この前の会計のときはKなど値段的にこれくらいだと正直自分はそろそろきついですとか弱音を吐くので、そんなこと言わずにこれからも頑張ろうよと励ます。


ただここ数回、自分の趣向で攻めすぎていて、他の皆さんの意見も取り入れないといけないので、次回はラーメンということになった。僕はラーメンは個人的には反対していて、なるべくラーメンはやめろ、ラーメンを食べるなラーメン屋に近づくなと、ことあるごとに言う。ラーメンはつまらないから、もっとお酒と食事でゆっくりとやろうという呼びかけをしているのだが、なかなか受け入れてもらえない。ラーメンのときは僕は参加しない。しかし来週は参加することにした。これも付き合いであり仕方がない。


ところで最近の東横線への副都心線などの乗り入れのせいで、みなとみらいから、新宿三丁目まで一本で行けてしまうことを今日知った。便利は便利。


土曜日は渋谷へ。人に贈るために、kappaの帽子を買う。そんなメーカーをはじめて知った。ゴルフをする人なら知っているらしい。ゴルフウェアというのはけっこう面白くて、着方によっては普段着で着てもいいかも、と思った。服は、洋服見ても何も楽しくないし興味もわかないという状態がもう何ヶ月も続いていたのだが、今日は、あるものが春物だからかもしれないけど、なんかちょっと見ていてだけでも、かすかに楽しい気持ちが甦ってくるような気もした。


パルコブックセンターでデ・クーニングの画集をじっくりと見ていた。これはやっぱり物凄いものだ。昔から、デ・クーニングってなぜ人体のかたちというか人体のイメージを必要としているのか、よくわからないと思っていて、それは今もそう思っているのだが、それにしてもやはりこれらの仕事は圧倒的に素晴らしいと思う。タブローもいいけど、素描もほんとうに凄い。久々に、煽られているような気持ちにさせられた。


ところでたぶん遅くとも来月か再来月には、めがねを買わないといけないだろう。そうじゃないと、免許の更新で確実に引っ掛かる。もう今の状態で、裸眼で視力検査をパスするのは確実に不可能だ。眼鏡屋で少し見て、また後日試してみて、どれにするか決めるが、めがねをかけた自分の顔をみて、ああもうこうして、こんな風にどんどん年を取った、年齢相応な、そういう人間になっていくのだなあと思った。色々と、あきらめていくんだなあと。


渋谷に来たのは久々だった。相変わらずの、交差点の、すごい人の数。でかい看板のついたトレーラーが爆音で音楽を流している。割れたような大音量が交差してぶつかり合う。ここにいるだけで、耳から液が出てくると言うか、脳が溶けてくるというか、ほとんどうっとりとした気分のまま安らかな世界に行きそうになる。


よく考えたら、今は春休みで、だから若い人が多いのか。声がでかいというか、パルコもさわがしい。


そのあと(その前だったか?)、代々木公園に行ったら、桜はまだ一応咲いていたが、桜はともかく、圧巻なのは桜の下にシートを敷いて花見している人の数で、ほとんど地平線の彼方まで、何十万人もの人間が座り込んで宴会していて、ほとんどウッドストック状態というか、彼方まで人の頭がびっしりで、これほどの自然と木々の下に、喧騒と居酒屋の匂いがたちこめていて、とにかくこれは、宴会の地獄絵図であり、享楽の行き着いた先の阿鼻叫喚。かんぜんに、狂っていた。外国人に写真を撮られまくっている。これは酷いと思って、愉快な思いで公園を抜ける。かなり寒かったので、あれでは体調を崩した人も多いかもしれない。それにしてもさすがに、今日の代々木公園のありさまは、もし空の上から、神様に見下ろされたら、かなり怒られるレベルだろう。こんなヤツら全員まとめて一挙に滅ぼしてやるとか思われても、しょうがないかもしれない。


帰って家で食事。