DJ KOZE の新しいアルバム「Amygdala」を今iTunesで試聴しているけど、これいいなあ。

よく民俗音楽なんかの、延々続くリフレインを心地よく感じるというのはなぜなのか。単なるエキゾチシズムだけではない何かに惹かれているのだと思うが。

昔、まだ中学生の頃、親の実家で法事のときに御詠歌を詠まれて、それがすごく新鮮に感じられた。これはかっこいいじゃん、と思ったものだ。

でも日本的な音楽って、だいたい御詠歌みたいに、言葉の意味ひとつひとつを引き伸ばして、一個の音が一個の節になるようにして、それをひたすら繋げていくような作り方をされていることが多い気がする。楽曲が作られるというよりは、一個一個を最小の音楽単位にしてそれらを適宜つなぎ合わせている感じ。

だから、所謂リズムってものはあまり生まれてこない。むしろどこまでもリズムを拒否するというか、どこまでもエンドポイントを引き伸ばすというか、息継ぎのタイミングが絶対にその場その場で単体で置かれるので、繰り返しなのにループしないというか。

DJ KOZE のアルバムとなんの関係もない話だが、テクノは元々そういう、音楽のかなり原初的な部分がある意味むき出しになっているところがあるので、聴いていて昔の懐かしいことを思い出したりすることはよくある。