ベンヤミン/クラブ/ロンリー

事物をおおっているヴェールを剥ぎとり、アウラを崩壊させることこそ現代の知覚の特徴であり、現代の世界では、『平等に対する感覚」が非常に発達していて、ひとびとは一回かぎりのものからでさえ、複製によって同質のものを引きだそうとする。……リアリティの照準を大衆にあわせ、逆に大衆をリアリティの照準にあわせることが、思考面でも、視覚面でも、無限の射程距離をもつ動きとなっている。知覚の近代化とは、無意識の記憶が意識的な記憶に凌駕され、自分だけに固有であり、ある瞬間を逃すと二度と取り返せないものとしての経験が縮小していくことであるが、それは彼(ベンヤミン)にとっては知覚様式の拡張であった。絵画的な想像力は画家と鑑賞者のまなざしの交差から生まれたが、写真はこうした意味の一人対一人の交感とは別の次元にある『平等にたいする感覚』を根拠とする視線、『見る能力が失われた、といってよいような眼』を満たす経験を与えるのである。見るのは私ではなく私たちであり大衆という匿名的な集団のなかに埋没する一人なのである。写真的な視線は『見る人の不在、視線のなかに閉ざされているその不在が深ければ深いほど、いっそう魅惑的にかがやく。鏡のような眼のなかの不在はなにものによっても乱すことができない。まさしくそれゆえにこの眼は遠さを知らない』遠さを知らない眼とはアウラを知らない眼のことである。そしてこのような眼にとって写真は『飢えにとっての食料、乾きにとっての飲料を意味する』

という文章は衝撃的である。自分だけに固有であることの喪失こそが「知覚様式の拡張」であると断言されてしまうときの戸惑いは大きい。しかし同時に「そうそう!まさにそういう感じだよな」と簡単に「気分」で同調できてしまう感じも濃厚にあって、それがまた複雑である。アウラを知らない眼にとってのイメージが『飢えにとっての食料、乾きにとっての飲料を意味する』として、『見る能力が失われた、といってよいような眼』を満たす経験としてあらわれる、というのも、もう絶望的なくらい、よくわかってしまう。というか、僕はもともと、そのような『乾きにとっての飲料』であるかのようなイメージにこそ、強く憧れていたのではなかっただろうか、とさえ思った。でも、ときすでに遅し。僕はもう、そのときの僕ではない。


この後、ベンヤミンにとって理想的な「知覚の深化」をもたらした表現形式としての映画についての話になる。「作品のなかに自己を沈潜させる一九世紀的な集中型の接し方に対し、自己のなかに作品を沈潜させる複製技術の散漫な接し方を弁護する。」「聴くべき音楽ではなく、聞こえてくる音楽こそがこの散漫ではあるが批判的な聴取をもたらすだろう。ベンヤミンはもっと強く、そうでなくてはならない、さえいっている。なぜなら『歴史の転換期に人間の知覚器官がはたさねばならぬ課題は、単なる視覚つまり瞑想によってでは、けっして解決されえないのだ。それは…[即物的な人間の]習慣化をとおして、しだいに解決されるのである』」


しかしぼくが、ここまでを読む限り、ベンヤミンは映画を擁護するよりも、絶対にクラブへ通うべきだったのだとつよく思った。もちろんこれは非現実的な仮定の話であるのはいうまでもないのだが、でも是非クラブを体験してほしかったと思いましたね。っていうか、当時のカフェやジャズ演奏の店やダンスホール的な場所には行ってたのかもしれないけど、まあ、ベンヤミンが理想としている感じというのは、どう考えてもクラブにおける音楽の聞こえかたであるような気がする。だからもうそれは、今の時点ですでに実現してしまったよ、という感じにの、いわば第一印象的な感想として思った。


で、なぜか唐突にLil' Louis の「Club Lonely」を聴きたくなった。なので、聴いた。この曲は…ベンヤミンに聴かせたかった、と思った。なぜ、1992年のLil' Louisは、自分のセカンドアルバムのオープニングにおいて、このような孤独をテーマにした楽曲を据えたのだろうか。それが、かねてより気になっていた。世の中のDJたちは、実は、意外とその空間について「ここは天国だぜ!最高の場所だぜ!夢のようなひとときだぜ!」などとは言わないのだ。たぶんハウスDJたちは、ベンヤミンが語っているような事の、ある部分を体感的にわかっている人々で、その彼らがクラブという空間で、かつて「理想的な知覚の深化・変化」の実験場とも思われた映画館と地続きでもあるような場にいる事を、無意識のうちに理解していて、それでいて、なお、そこを「理想郷だよ」とはいわずに「クラブにおける孤独だよ」とうたわねばならなかったのだ。受容度の深化・知覚の変容において、20世紀の人類はおそらく、最高の達成を示したのだと思うが、しかしそれと同時に、皆に「平等」に分配され、等しく抱えることになった絶対的な孤独に苦しむことになった。…などという事を思って、いまさらながらに深く感銘を受けてしまう。。とにかく今は、Lil' Louis の「Club Lonely」を聴くべきなのである。