先週末、川沿いをひたすら歩いていたら、玉堂美術館というのがあって、その館内に晩年の川合玉堂の写真が飾ってあった。着物に下駄履きで、すっと立っている痩せた老人の全身写真である。その骨格、体格の、昔の日本人的な小ささと、着物の生地の薄い感じと、清潔で折り目正しい感じと、下駄を履いた白足袋。とくに白足袋の白さが、かなり鮮烈に感じられた。


わー、、明治の人間。。と思った。


十六歳から十八歳のときに描いた写生帳が展示されている。もし僕が、明治二十四年頃に、たまたま京都の画学校界隈をふらついていて、玉泉先生の門下生に凄いのがいるよと聞いて、その画帳を見せてもらったら「うわ!こりゃ、凄すぎる!!人間じゃねえ!」とか言うだろう。たぶん、当時の日本人が想像できる「写実の感覚」というものがあるとしたら、これは人間技、つまり人間の想像の枠を、ちょっとだけ飛び出ていたのではないか。


とは言っても、誤解のないように言うが、今見ても別に、それほど凄くはないのだが。でも、さすがに当時、明治二十四年に二十歳になるかならないかという年齢の僕が見たときには、ぶっ飛ばされるくらい、もの凄い出来の絵だった、と言う意味。


昭和十五年、六十七歳のときに授かった文化勲章も展示されていた。終戦はその五年後で、疎開先の青梅から居を移さず、それから十年以上して、昭和三十二年に死にました。


白足袋の死。という感じ。しかし、あれだけ未舗装のぬかるんだぐちゃぐちゃな道を、下駄だけで歩いてなぜ足袋が汚れないのかね?着物時代に特有の、そういう歩き方があるのかもしれないが。でも、戦争で負けようが何だろうが、変わらないものは変わらないで、白足袋だけはちゃんと清潔なものを履いて、外出するようなことには、結局ならなくて、そんなのはまるで無くなってしまった、というのは、やっぱり、面白いことだな。