二十五年前

大江健三郎 柄谷行人 全対話 世界と日本と日本人」を読んだ。九〇年代の対談が三つ。当時、大江健三郎六十代、柄谷行人五十代である。雰囲気はまさに「終焉をめぐる」お話…という感じで、もう世の中一区切りで、これまでの日本文学も終わり、文芸批評も終わりで、今後も小説が書かれるならば「後ろを向いて書く」ことしかできないとも言えるけど、若い人はとにかく文学をまじめにやってほしい、日本語圏だけで小さくまとまるのではなく、普遍性をきちんと意識しないとだめ、自分はもう出来ることはやったから、これからはスピノザを読んだりして余生を過ごすけど…みたいな、大江健三郎の、そのような時期であった。

あれから今にいたるまで、二十五年あまりが経過して、その間、大江健三郎は「レイト・ワーク」期に入り旺盛に書いた。柄谷行人ゼロ年代以降の仕事はたくさんある。

ゼロ年代と一〇年代がざーっと流れ去った後の場所に今いるということを、どう実感すれば良いのか、いまだに途方に暮れる思いがある、というか、より正確に言えば、途方に暮れるような気分さえあまり無い、そういう地続き的にとらえる見方の根拠の方をみうしなったという感じ。

アメリカの911テロから二十年が経つというとき、あのとき三十歳の自分にとって「二十年前」という感覚は未知だった。四十歳という年齢は「二十年前」という感覚をはじめて知ることになる年齢だと言える。

東北の震災から十年が経つというとき、それをついこの前の出来事のように思う。十年ってこのくらいの厚みと物量感だっただろうかと思う。

「十年前」は、三十歳から知ることになるので、四十歳以降それは反復する。あの十年前と、この十年前を較べたりもできる。そのような過去の反復性、複数性に、狼狽したり途方にくれたり、諦めたり、悟って開き直ったりする。

二十五年が長いのか短いのかも、よくわからない。この二人の対談時からみて「万延元年のフットボール」が二十五年以上前になる。その距離感と、今から対談の時代を見てる距離感が、だいたい等しいのだが、時間というのは等質ではない。自分にとって、いくつかの十年前が、あるいははじめての二十五年前があるが、それを誰かと共有できるわけではない。若者と老人にとっても違うし、時代ごとにも違うし、それはもとより固有のものだ。私たちの二十五年であるとは言えない。人間の生というものの、計り知れなさ、とらえようのなさだな…と思う。