内田百けん「第一阿房列車」を読んでいて、この主人公、なんとなく妻に似たところがあると思えてならないと感じた。当日、乗ろうとした列車の切符がすべて売り切れていて、そうなると何が何でも、どんな手段を使ってでも切符を入手したいと思うが、でも明日の切符をあらかじめ買うのは嫌で、要するに当日、今、これから乗る汽車の切符を買うことに固執する、みたいな、そういうところが…。と思ったのだけれど、よくよく考えると不思議で、じっさい、妻は別に、けしてそういう人間ではない、と思うのだが、なぜか不思議と、相通じる何かを感じてしまったのは、なぜなのかね?という話を、先ほど本人にしたら、なにそれ?なんで?何を言うのか?と、やはり納得がいかない様子であった。さらにまた、そういうことを、こうしてここに色々書くと、また翌朝おそらく、さらに怒るので、ほんとうはあまり書かないほうが良いのだが。