東京造形大学 CS-lab にて「組立-展開」対話企画 自己教育としての美術 を聴講。造形大には昔、たしかまだ学生の頃、学園祭に行ったことがある。たぶん今から二十年以上前のこと。それがこの場所のこの建物なのか、そうじゃないのかもよくわからないが。。


上田和彦さんはそれにしても、組立の「対話」音源でもそうだが、相変わらず声の良さが素晴らしくて、かつ完璧なBPMに固定した語りのグルーブに酔う。原田裕規さんの理知的で繊細で、言葉を探しながらとても丁寧に盤上に駒を置いていくような語りも良かった。しかし、若いのに、なんと聡明なことか。。


とはいえ僕が、行きの電車の中でもそんな感じだったのだけれど、前夜の飲みすぎ・寝不足のせいか、どうも集中力に欠けていて、話を聞いていたり聞いていたなかったり、ぼやぼやとした時間を過ごしていた。聞いているのか、考え事してるのか、わからないような感じなので、この先は当日のレポートでもなんでもない内容である。


原田さんの、心霊写真をサンプリングして作品として提示、いうのは、おもしろそうと思った。しかし、作品としてのフレームに入る/入らないの、不確かな緊張感として見るというより、やはり心霊写真として、しげしげと見たいと思ってしまうのは、我ながらどうなのかという。。


たとえば「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるからです。」みたいな話の、その「感じ」はもう、われわれは充分に知っている訳だが、しかしそれは別として、あらためて、なぜ私は山に登るのか?という問いに、今はすでに妥当な回答が確定済み、というわけでは全然ない。むしろ、昔と何も変わらず、今もそれは謎である。これだけ毎週末ごとに何万人もの人が山に登るというのに、なぜ山に登るのか?という問いは相変わらず回答受付中なのである。これはおそらく、この先も延々謎のままである。じっさい、山に登るなんて、不可解な怪しい行為である。なぜなのかさっぱりわからない。健康とか自然とか、すべて後付けの言い訳に過ぎない。「なぜ山に登るのか?」には今もまだ答えがない。


ただし、山の頂上から見下ろした景色が、みたいなことと同じなのかどうかはひとまず置くとしても、たしかにいつの時代にも、めっちゃ、いけてる作品というのは、たしかにある。これはいいわ、と思えるもの。ああ、これだね、という。そういうのはだから、現代の社会システムとかの範疇で分析するのはかなり難しい。その良さとは、どこまでも過去参照の行為に近いのだと思われる。その参照範囲が、芸術はおそろしく広いので、社会的には危険なスコープをもつ側面がある。


じっさい、芸術・・・。世間一般に、いや美術というものに関わる作り手受け手、双方たとえば、あの作品がいいとか、あの作品がダサいとか、あれはイケてるとか許しがたいとか、あれにはうんざりとか悪くないとか、あのシーンは今アツいとか、あれは笑えるとかあの女はエロいとか、そういう話を、芸術はときとして、しないわけにはいかない。芸術に取り組むにあたって、少なくともこういう態度はいけない。こうなったら最悪、とか、こういう風にやるべきとか、そういうことを考えないわけにはいかない。…芸術、芸術…。


しかし、いけてる作品というのは何か。


芸術について、人間が考えるとき、たとえば「芸術を滅ぼすにはどうすれば良いのか」を考えるとか、そんなときなら、人間という単位をまず頭で立てて、それに対する芸術、という構成に、どうしてもなってしまいがちだ。これがどうしても、なかなか苦しいように感じる。


結局は、人の社会フレーム内における生き方、正しき生、適切な社会性、人間の生き方問題に還元するような考え方になってしまう。どうしても、それは人のやることなので、人が人の価値判断基準で考えるしかないからだ。作品の正当性とか、問いへの不徹底性を問題視するような考え方は、作品を断罪して同時に、作者を断罪する。お前の取り組み方や行為は問題がある、間違っている。という話になる。


社会という概念の構成要素と、芸術という概念の構成要素の違いの甚だしさというのに、まずはがっくりくるっていうのが、あるよなあと思う。


でも、そういうのも含めて、どうでもいいことのような気もする。それも含めて、どんどん土地は埋め立てられて、また新しい建物が立って、また別のところが壊されて、野ざらしになったと思ったら、結局またあたりまえのように別のものが建つ。


それは、とても虚しいことだが、でもその建物に、また週末になったら出かける。そういうのをやめないといけないので、その意味での芸術は、どんどんやめてしまわないといけない。ダイエットのために色々な食材を試すのではなく、単に食べないで痩せる。これから死ぬまで一日何カロリーしか摂らないと決めてしまわないといけない。


そんなことをぼやぼやと頭の中で勝手に考えていると、なんとなく気が滅入る。