東浩紀ソルジェニーツィン試論―確率の手触り」を、あらためてちゃんと読んだ。これ、ほんとうに素晴らしいのだけど、今ここでさらっと感想を書くのはあまりにも難しいのだが、とにかくぐいぐいと、力任せな、すごい気合の入った素晴らしい論考と思う。それはわかる。いや、なにしろ、ものを書いたり描いたりするときにおいて「打算的」であることが如何に恥ずべきことであるかをまざまざと思い知らされる。ここで云われている「根源的」であることのおどろくべき困難さ。「僕たち」と「ソルジェニーツィン」との距離も、イワンとアリョーシャの距離も、絶望的なまでに隔たっている。それゆえの、その絶望ゆえの具体性。馬鹿げた振る舞いを、決して恐れまい。誰に何と云われようが、その場所から、見下すでもなく、斜に構えるでもなく、事前防衛するでもなく、ただ必然として、端的な事務仕事として、語るしかないのだ。