先週の金曜日はたしか帰ってきてからすぐに寝て、土曜日は家にいたけど何か書こうかと思ったけど、めんどくさいーい。かかない。と思って寝る。日曜日は寝てしまって、あとで起きたけど書こうとしたけどめんどくさくて寝た。


昨日、国立新美術館に行って中村一美展を観る。二時間くらい会場にいて、出る頃にはほとんどぶっ倒れそうになっていた。ほんとうに、参った。


百何点か、そのくらいの量がある。そしてとくに後半が、もう唖然とするしかないようなことになっている。年代でいうとゼロ年代以降だ。


あるシステムが、統制元を失調して、制御を失って、誰にも止められなくなる、手の施しようがなくなる、というような事態があるとして、絵画がそのようなことに、もしなったら、それはそれで、それなりに、見応えのある作品なのだろうか。


たとえば、「これはもはや、人間の仕業ではないね。」などと云われるような作品がもしあったら、それは作品としてどうなのか。


人間じゃない、いや、これはもう、人間じゃないね。…アイロニーではなく、ほんとうにそう思えるようなものだとしたら、それはどうなのか。いや、たとえば子供の描いた絵はごくたまに人間から離れたりはしないのだろうか。というかむしろ、皆、人間の仕業ではないことに憧れているのか。人間の層から出てくるのとは違う、もっと根源的な、有無を言わさぬ、あらあらしい暴力的で植物的な、ミネラルの香りがする何かに惹かれているのか。でもここにあるのはもう、何かもう取り返しのつかない、決して元の澄んだ色には戻らない鈍い混色の結果と生のまま固まってしまって動きをなくした粘りの痕跡で、吐く息がもう一度肺に戻っていくような、ああ人間じゃないなあ、これ、人じゃないなあと思うしかない、なんという言葉で言い表せばいいのかわからないような、唖然としたままの気持ち。そのピークが高さ4メートル、幅9メートルのあの作品だろうか。あれはすごい。もう、あきれてものが言えない。でも、そんな気持ちにさせてくれるものが、この世の中にあといくつ、どれだけあるというのか。これはやはり、傑作なんじゃないかと思う。


で、その後さらにとてつもない行軍が続いて、大変披露困憊して、気分的にも相当ぐったりしたのであるが、でも良い作品はすごく良いので、逆にマゾヒズム全開にして、日を改めてもう一回観ようかという気持ちも少しある。でもここでそう言うだけでたぶん絶対に行かないと思う。


でも、結局感想としては、けっこう良かった。やっぱりこのくらい重厚なものを観るのは、なんとなく満足感はあるものだ。だからやっぱりもう一度観ようかな。素描とかも、素晴らしいし。


しかし、とくにゼロ年代以降の作品は、いわゆる通常の絵画空間的な調和に対して、もうまったく何の未練もなくて、だから、ああいう画面になるのだと思うけど、だとしたらあの先はほとんど前人未到の、まさに人間の居ない、真のジャングルだなと思う。で、最期の方はもはや、本物のジャングルが広がっている。いや…ジャングルという言い方が適切とは思えないし、それにそれが本当に、真のジャングルなのかどうか、それもよくわからなくて、前人未到の、真のジャングル、という言葉それ自体が、いかにもわかりやすい、まったくの非ジャングル的なものでしかないとも思うし。…本展覧会はどちらかというと、山で遭難して絶望的な情況に陥ってる人の動向を追ったルポルタージュといったおもむきもあり、それはそれで、たしかにこれはこれで、そういう進む道というのは、誰にもモノの言えない、暗闇の先だな、と思う。


なんかいいかげんなことをぱっぱと書いただけみたいになっちゃってすいません。