人間いろいろ

当時の批評家で、リチャード・ゴルスタインのようにヘンドリックスに対する自分たちの反応の下にはびこる根について正直だったものはほとんどいない。一九六八年の発売当時の『エレクトリック・レディランド』の『ヴィレッジ・ボイス』誌のレビューで。ゴルスタインは以下のようにヘンドリックスを評している。


「イギリス人がケバいと呼ぶものに対してのイカした軽蔑をこめて、不条理にも黒人であることを酷評する……自分の批評家として最も不必要な過ちを考えるとき、私は初期にヘンドリックスの野卑さに対して抱いた憤怒を、決してなかったことにすることはできない。確かに彼はオーディエンスに迎合し、それはしごく屈辱的に感じられた。白人(モリソンやジャガー)から出たものなら、私はまだあのジャラジャラの魅力を受け入れられただろう。しかし、私は依然、黒人パフォーマーには威厳を要求していた……あの特徴をフォーク・ミュージックの遺物と大目に見ることも可能だった。そこでは黒人たちは気高くある限りは反抗的であることを許されていたのだ。しかし、もっとずっと深いところで、白人としての私は攻撃的な(言い換えれば、無作法な)黒人の存在に対して、折り合いをつけなくてはならなかった。パンサーたちのクールな攻撃や、伝道師たちのキリスト教の寛容なら受け付けた。しかし、ヘンドリックスは最も脅威的な意味において、意味不明だった。堕落した黒人王子を装い--オセロの復讐だ--ながら、彼は我々の内面の闇の胸像であり、道化じみて、性的で、自由であろうともがいていた。だからこそ、ジミ・ヘンドリックスはあんなにも黒人文化とのつながりが薄いのかもしれない。詰まるところ、彼は黒人たちがずっと昔に受け取っていたメッセージだった。人はみなそれぞれなのだと」


ジミ・ヘンドリックスアメリカの光と影 -ブラック・ミュージック&ポップ・カルチャー・レヴォリューション」(チャールズ・シャー・マリー)