説明しにくいこともある


初台で「ジョン・ウッド&ポール・ハリソン 説明しにくいこともある」二回目。前回観られなかった残りを観る。NHKの「2355」で観た事がある作品もいくつかあって、テレビで観たときはそんなに面白いとは思ってなかったので、最初は正直、あまり期待してなかったのだが、先週観て、残りをわざわざ再訪して観に来るくらい面白いと思ったのだから、本当に面白い。


それにしても、何度聞いても「ジョン・ウッド&ポール・ハリソン」という名前はおぼえられない。ロン・ウッドジョージ・ハリソン?ジョンとジョージとポール?みたいに混乱する。


会場を入って手前側に初期作品が、奥側に最近の作品があって、前回も今日も、手前側の方に客が多くて、前回は比較的空いてる奥の方で、今日は手前側を重点的に観た。どれもミニマムな表現だが、人体が素材にされるとき、そこにユーモアとかセンスの良さに加えて、鍛錬の気配とか緊張とか不安とか恐怖とか、義務感とか息苦しさとか、虚しさとか、いろいろなものが出てくる。僕の場合は、途中からそう見えてしまうと何もかもそう見えてしまうようになったのが、どうしても収容所とかのイメージで、ああいう無機質な空間に、真ん中に人体があり、坊主頭で特徴のない衣服を着て真っ直ぐに立っている人や、中空に吊り下げられる(絞首刑のように)、ゴムに引っ張られたものが飛んでくる、外へ吹っ飛ぶ、ボールに打たれる(銃殺刑や拘束のように)、など、僕はそのようなものに見てしまうのだと思った。シンプルな椅子や机が投げ飛ばされたり、壊されたり(机の足の一本を、人が足で蹴って、机の足が折れて机上に立っていた人が机ごと傾いて倒れそうになるのを、蹴った当人が掴まえて支える、という一連の動きがあって、僕には処刑(未遂)を強く連想させた。)落下とか爆発とか、ある意味、きわめてミニマムな暴力表現が、くりかえし試されているような感じもする。根底に暴力を嗜好するという感じは無くて、そのような嗜好一般を支えている元基の部分を精緻に解析しているような感じだろうか。


出かける時はいい天気で、やや寒く、帰りは、本気で寒かった。とにかく風が、人間をいっさい勘定に入れてない。数千メートル上空と同じような感じである。もう一切寄り道せずにとっとと帰宅したが、せっかくだからせめて一日くらいは、どこかでひたすら寒風に直接身を晒すような時間をもってみても良いかもしれない。