ゲーム


若い子と話していて、休みの日は一日中ゲームやってるというので、どんなゲームをやってるのか聞いたら、スポーツ系のゲームだけど自分がほとんどプレイするわけではなくて、AI同士を闘わせて、それをひたすら観ているのだそうな。なるほど、そうか、そうだよなあと、一日中ゲームするっていうのは、今は、つまりそういうことだよなあと、妙に納得した。ヴィデオゲームというのはすでにコントローラーをインターフェイスとした指先の操作や反射神経で楽しむもの、ではなくなっていて、むしろそういうゲームはほんの一部にしか残ってなくて、スポーツ好きな子はゲーム機でスポーツのシミュレーションというかヴァーチャル体験として、それをぼんやりと眺めているようなのが普通なのだ。たしかに今のゲームは、そういうのに最適だ。ゲームをやり込む、というのの意味も、どれだけそのAI同士の対戦結果のバリエーションを観ることができたか、というところになる。となると、そのモチーフとなっているスポーツが好きだというのが、どういう感情なのか。それを観ているときの、ある一定以上のバリエーションに対して、胸が期待に膨らむということなのか。だからテレビ中継を観て、過去の録画も観て、ゲームでも観る。たしかにそうだ。僕だって、そのように観ていると言えば観ている。