辰野登恵子展

北浦和埼玉県立近代美術館で「辰野登恵子 オン・ペーパーズ A Retrospective 1969-2012」を観る。方眼とかドットをモチーフとしたシルクスクリーンの初期作品がまとめて観られるのは嬉しい。辰野登恵子的な絵画…あのイメージ、形態、色彩と質感というのは、いつでもなかなか、辰野登恵子的濃厚さがすごくて、良くも悪くも見応え充分なのだが、初期作品は適度に理知的で抑制的でやや安心して観られる…などと甘く考えたりもしつつ、実際観るとたしかにすごく冴えわたり洗練された秀作揃いなのだが、しかし連続してみていると、技法や形式の話ではなく、ひとつの作品を確定させるまでの執拗な試行錯誤が繰り返されているのがじわっと感じられて、抑制の裏側に、ものすごく人間味が漂っているというか、この若さでここまでやるって、なんという早熟さで、同時になんというしつこさ、ひたむきさ、作家としての強さだろうと感じもするし、方眼に加筆するときの手描き感というか表現っぽさを残したい感じとか、ズレや傾き、重なりとか、とにかく力いっぱいに手探りして試す。ある美術家の女性の二十代~三十代にかけての、紆余曲折を経ながら次第にスタイルを確立していく、70年代をひたすら「若々しく」駆け抜けていった過程を追っていると思わず息を呑む…などと言うと、それこそつまらない先入観をともなった感想かもしれないが、やはりそれを感じる。なにしろ制作年の下二桁から50引いた数が、そのまま制作時の作者の年齢なので、どうしてもそういうヒストリーを読みたくなってしまう。

メインの制作手段が版画ではなくタブローへと変わっていったのが1980年前後で、しだいに上下遷移を思わせるような運動(形態)があらわれてきて、とつぜん超厚塗りでマチエール重視な大作があらわれる、で、自分にはこの一時期にあらわれる一部のタブローはこの作家のキャリア中もっとも弱いというか如何にもその時代固有の雰囲気、その後の変遷に耐えられず風化しそうな脆弱性を有しているように思われたのだが、そうでありながらそれと同時に、辰野登恵子にとってもっとも重要なS字型を思わせる縦方向の反復、あるいは矩形の連なりのイメージがあらわれるのがやはり同時期の別の作品だったことが、すごく興味深くも思われる。仕事の質が、一瞬かなり弱まった(と僕には感じられる)タイミングと、その作家の将来を大きく方向付けるような重要なイメージの端緒を掴んだタイミングとが、ほぼ重なってる、あるいは行きつ戻りつで知らぬ間に以前とはずいぶん離れた場所に来てみて、そこで偶然掴まれた、そこには時系列的に整然とまとめられるような何かはない、もっとばらばらと錯乱した中からあらわれる「次の方向」らしきものが発見された、という感じでこれも事後的に観ているからそう思えるのかもしれないが、そうかそういうものか…と思った。

で、流れとしては八十年代の半ばから九十年代にかけての、おそらく辰野登恵子のキャリアのピークと呼んでも良い時期に突入していくのだと思うが、本展覧会は潔いほどにこの時期の作品を欠いている。次の部屋ではいきなり90年代後半とか00年代以降のタブロー群およびリトグラフ群を主として構成される。とはいえ本展示の見所はやはり前述した八十年代初頭までと言えるし、これはこれで良かったと思う。というか作家の一生をかけた仕事の痕跡の迫力は相当なもので、ただ黙って観るしかない感じだ。相当疲れたけど、最後まで観て建物を出たら、すでに外は真っ暗だった。