卓上


夜になると雨が激しくなって風も出て酷い天気になるとの予報を聞くが、午後三時頃から出かける。


図書館で本を返して、また借りる。結局鞄が、重さが、行きも帰りも変わらないじゃないか。しかも、これ、ほんとうに読むのか。最近図書館内で読み耽ってしまって、そのまま棚に戻すわけにいかずにやむなく借りるが、さて帰宅したらさっぱり読まないどころか開きもしない、借りたことすら忘れている、というパターンが多いような気もする。


夕方に近づいてきて、雨風は思ったほどではないが、しかし思ったよりも寒い。思ったよりも寒くなったから、雨風が思ってたほどにはならなかったのかもしれない。だとすれば良かったけれども、しかし寒い。店に着いて、傘を畳んでコートを預けて、着席して、まずは熱燗を注文したいようなテンションではあったが、ここはイタリアンレストランである。白ワインからスタートで、以降おまかせで、バイザグラスで、ここはいくらでも出てくる。白壁にくっついた、テーブルクロスの掛かったシンプルな食卓に向き合って、まだ最初の一皿が出るまでのあいだ、卓上にはふたつのワイングラスがあるだけだ。そのようにして、テーブル上にグラス以外の何もなくて、さっきまで外を歩いていて、その余韻がまだ消えない二人がそうして向かい合っていて、ひとまず食前の杯で口を湿らせている時間を僕は好きである。そのときはまだ、話す内容も滑りが悪く、これから始まる食事に向けて体が少しずつ開きはじめている途中だ。もう何度も来ている店だが、ここで食事がはじまるとき、最初は常にぎこちない時間が流れる、というか、ここに特有の、粘るような速度をもつ時間の流れの感触、それこそがこの店での食事のスタートなのだ。やがて皿が運ばれ、少しずつ何かが緩み、あたためられて、次第に快活になったものに支えられて、やがて我々はいつものように喋り出すのだろうが、当初の段階でも、ある程度の時間が流れて以降の段階でも、同じようにここで僕はしばしば想像するのだが、今自分達の着席しているテーブルとほかの客のテーブルと、ぐるっと見回したこの店内、厨房や従業員達も含めたこの中に全部があって、そしてそれらを取り囲む白い壁があって、その壁の外は、奈落のように感じられる。もし今、店のドアを開けて外に出たら、一気に間ッ逆さまに落ちてしまう。こうして安全に食事をしていられるのは、たまたまこの店にいるからなのだ。つまり店が、一艘の船なのだ。船底の一枚下は地獄なのだ。皿が出て、空のグラスにまた酒が注がれて、また次の皿が出て、また酒が注がれて、今こうして自分が味わい感じている内容が、外の地獄の様子と裏表ぴったり貼り付いているのを常に意識している。たまに振り返ると、暖気に曇ったガラスの向こう側は夜の色で、なおも降り続く雨の斜線がはっきりと見えている。