すしや


御茶ノ水からちょっと歩いたところの、ちょっと、いや、かなり怖い感じの威厳と風格漂うドアをガラッと開けると、いきなりカウンター向こうの店主にギロッと睨まれた。あまりにも典型的かつ王道的な「怖そうな大将」で、ビビると同時に、軽く感動をおぼえる。ちょっと宮口精二に似ていると思う。平静を装って傘を傘立てにあずけて、しばし佇み、様子を伺う。店内はまさに静寂そのもの。BGMはおろか話声さえ聴こえない。というか先客は若い女性一名でそれも軽く驚いたが、なにしろ、水をうったようなとはこのような静けさのためにある言葉だろう。ゆっくり一番端の席に座って、しばらく間があって、おもむろに店主が近づいてきて、どういたしましょうか、と小声で聞くので、おまかせでお願いします、と応える、店主すぐ頷く。あと、ビールください、と追って言うと、店主、バックヤードの方を向いて、おいビール、と呼ぶ。置かれた瓶を傾けてグラスに注いでいるとき、その泡立ちとグラスに液体が注がれる音が、かつてこれほど耳にはっきりと聴こえた事があっただろうかと思うような、今ここにいる全員が、そのビールの泡立ちの音だけを真剣に聴いているような感さえあり、思わず瓶を持つ手が震えそうになる。ただ、この店はおそらくそんな感じ、たぶんそうだろうと最初から予想して行ってるので、そう思っていると、この緊張にみちた空気が、じつはそれほど居心地が悪くないというか、外の喧騒から完全にシャットアウトされたような、無事隔離された安全地帯に逃げ込めたような満足感さえあって、なんというか、たとえるなら寺の供養行事というか、葬祭関連で待機してる感じというか、そういう整ったシステムに身体をあずけてしまって安心してるような感じにも、近いかもしれない。身体も心も、結局は場に馴染んでしまう。そして、途中から冷酒にして、何のことはなくて、これでいいのだ。結局、もう何も問題はない。