脅威と脆弱性


1.

ゴンチャロフ、プチデザートアラモード。4個入り1036円。小行列だったけど並んだよ。そんなの生まれてはじめてだよ。大丸と松阪屋だけの特別なやつらしいよ。」


「いや、ええと、ちょっといいですか。なんか、朝、お返しの品を渡したとき、Aさんだけまだ出社してなかったから、Aさんの机に置いておいたじゃないですか。それで、あとでAさんが来て、何これ?みたいな感じだったので、お返しですよって言ったんですけど、ふーんみたいな、なんとなく腑に落ちないような顔してたんで、アレ、もしかしたらやべーかなって。やっぱり直接、手渡しで渡すべきなのかもしれなかったです、なんか女性って、難しいっすね。なんか、単に机の上にぽーんと置いて、それで終わり?みたいな、そんな感じに思われたみたいで、やー、難しいっすね、女性って、扱い面倒臭いっすよね、なんか、ああーやべーなあと思って、一応言っておこうと思って。」


「えー!?まじか。いやだなあ、、それ、僕がフォローする必要あるの?何それ、うわー何それめんどくさいなー。どうしようかなあ。」


「いやいや、これはもう、そのままスルーでOKです。自分がさっき話して、ふーんみたいな反応で、その一連のやり取りで終わりでOKです。なので、一応報告だけです。それで、そのままで大丈夫っす。」


「そうなの?じゃあいいのね?わかった。いやー、でも、厄介だなあ。でも、詰めの甘さってことかなあ、そういう落とし穴もあるのか。まいったなー。」


2.

会議中、知らない電話番号から携帯に着信した。ポケットの中でいつまでもしつこく震えている。とりあえず一旦見送ってから、番号をネットで調べたら、どうも都内の病院かららしい。直後に、また掛かってきた。うわ、しつこい、と思って、もしかすると身内の誰かに何かあったとか、そういうことの可能性を考えた。電話が切れた。廊下に出て、その番号へ掛け直した。


「はい。○○病院です。」
「すいません。いま、電話いただいたみたいなんですけど」
「はい。こちらに、どなたか入院されていますか?」
「いえ、ええと、ちなみにそちらは、どこにある病院ですか?」
「あ、すいません。都内の○○にある○○病院です。」
「・・・いや、とくに心当たりないですね。」
「あ、そうですか。とくにこちらから、ご連絡するようなお心当たりもないですよね。」
「・・・はい。そうですね…こちらは特に何も…」
「あー、…では、申し訳ございません、間違い電話かもしれません。じつは、この病院内のどこからお電話を差し上げたのか、ここからだとわからないんです。なので・・。」
「あ、わかりました。ではとくに何もなかったという事で、少し様子を見ようと思います。」
「はい。申し訳ございません。」


話の途中で考えながら、まあ、これはたぶんただの間違いだろうなと思って、少なくとも面倒事ではなくて良かった。ああ、何もなくて良かった。いくつかある面倒事の、一個が消えたことの、減った分の軽さのことを考えていた。


3.

「あ、さっきの件、あれすいません。やっぱり俺の勘違いだったかもです。なんかAさん、単に朝だから機嫌悪かっただけっぽいです。Aさん。たまに、あるんです。だからさっき話したとき、ぜんぜん問題なかったんで、だからOKです。心配いらないです。すいませんでした。」


「あ、そうなの?まじで?なら良かったけど。そうかー、でも、そういう落とし穴も、あるってことだよねー。詰めが甘いってことかなー、最後のフィニッシュのところで、全部台無しにする可能性も、あるってことだよなあ、いやあ、まじかあ。」


「ですねー。でも、面倒くさいですよねー、難しいですよねー、ですよねー。」


また荷物減、またその減った分の軽さのことを考えていた。もしかしたら、今荷物ゼロかもしれない、かもしれないと思っていた。


4.

また着信が。ポケットの中で震えている。また、いつまでもしつこい。見ると、非通知設定である。非通知設定には、反応しない。これが鉄則である、そうだっけ?誰かがそう言ってた気がする。とりあえず無視する。しかし、おどろくほどしつこく、何度も掛かってくる。こちらが受話するまで、やめないつもりなのか。数分おきに、ほとんど機械的に掛かってくる。それで思い浮かべるのは、やはりさっきの病院からの電話だ。もしかしたら用件の相手が、仕方なく別の電話端末でこちらに連絡を取ろうとしているのかもしれない。それにしても、なぜ非通知なのかという疑念はあるが、さすがにこのまま、延々無視し続けることもできないような気になってくる。だって、これじゃあ仕方がないでしょう。仕方がない。ということで、また廊下に出て、電話を受けた。受けたが、ひとまず何も言葉を発さず、しばらく黙っていた。電話の相手の声が聞こえた。


「…あれ?もしもし?もしもし?」
「…。」
「…えーっと、もしもし?あれ?もしもし?」
「…。」


このまま黙ってても、ただ、そのままの時間が続くだけだった。仕方がないので、最小限に応答。


「はい。」
「あ。…もしもし。」
「はい。」
「あ。……えーっと、すいません。…そちら…○○さんですか?」


間髪いれず応えた。


「違います。」
「あー、そうですか。間違えました。すいませーん。どうもー。」
「はーい。」


自分が「○○さん」じゃなくて良かった、と思っていて、あと、病院からじゃなくて良かった、とも思っていたかもしれないし、もう病院のことなど忘れていたかもしれない。そのまま電話が普通に終わっていくことが、不思議な気がしたけど、自分の最後の言葉「はーい。」は、あきらかに普通の間違い電話に対応する声になってしまっていた。それで良かったのか。いや、良くなかっただろうな。これできっと僕はどこかの誰かへ、何がしかの情報を提供したことになるのかもしれないのだな。この電話番号の先に人間がいる、男性の男で、声から推察するに中年の、そして名前は「○○さん」ではない。そういう人間だということを。それらの情報も資産。かすかな情報資産としての価値があるのかもしれず、現代を生きるならば常に情報の機密性を維持する心を無くす訳にはいかないのかもしれず、でも今日は、不吉なことばかり起こるから、仕方がなかった。そしてこれはこれで、きっと良かったのだ。だって、もうそれっきり、非通知の電話は来なくなったのだから。最小限の犠牲を払って、日常を取り戻したんだから、それで良かったのだ。


「ああ、それにしても、ほんとうに、こういう落とし穴もあるってことだよな。詰めが甘いんだな、最後のフィニッシュのところで、全部台無しにする可能性が、あるってことだよな。まいったなあ。」