忘れて


美味しいものなら、いったんそれを忘れないと。小説なら、いったん小説というものを忘れないと、哲学でも。小説。ほんとうに難しい。というのは、最初から小説というものが、この世に存在していると思ってしまうと、難しいのだ。そう思った状態で、あらためて、それそのものに出会うことの、なんという滑稽さか、と言うのだ。だってふつうは、そんなの、ありえなかったはずで、本来なら、まったく何もない白紙上に、君と僕、出会うはすのない二人だったのだ。哲学だって、最初からそういうのが、なぜか知らないけど、確固たる何かが、あらかじめちゃんとあると思って、それはさしずめ、ご両親が用意してくれてるみたいな、昔からおじいちゃんにかわいがられて育ったからみたいな、色々あるけれども、だからそれをあえて、なぜだか知らないけれども、何かの理由で、何かに駆られて、いざ、あらためて読むことの、何という倒錯、何という出来レース、何という不毛さだろうか。あらかじめ、人のしぐさを聴いて、そのとおりに身体を動かして、その予防策を聴くみたいな。いや、それならまだマシで、あらかじめ人のしぐさを自分の中に内面化してる時点でまだマシだが、たぶんそれ以前の、コスプレみたいな、ただの内輪受けな、狭い範囲の、何かへ開かれる可能性と不安を最初から排除して安心している、つまらない時間の浪費、課題提出の義務感だけでやり過ごそうとしている、それだけのことに過ぎないのだ。コスプレも、悪くはないのだけれども、でもそうじゃなくて、いったん忘れて、いったん別の時空で、それだな。そう。わたしは、わたしとしては、あなたの歯に、わたしの痛みを感じない、あなたの歯に、痛みを感じない。