入り用


何年かぶりに、朝から本社勤務の新鮮な一日だった。久しぶりの人達と果てしなく雑談しながら時間が過ぎてしまう。自分はそれでいいけど相手は迷惑だろうなあ、とも思うが、でも話しはどうしても話してしまう。会社、ああ、相変わらずだなあと思う。会社は不思議。お昼休みに、久しぶりに周辺を散歩した。歩きながらふいに、自分が何にも属していない、なんでもない状況であるかのように錯覚して、その感覚がしばらく続いた。この寄る辺なさはなんだろうと思った。前を外国人二人が楽しそうに雑談しながら歩いていて、彼らは何が楽しいのだろうか、僕も彼らのように楽しいと思いながら歩くことができるだるかと思った。あんな風に楽しげに歩いているというのは、いったいなんだろうか。この後、この先に何か、すごく期待できる、すごく楽しげな出来事がある、そんな予感がするのだろうか。そんな予定が確定しているのだろうか。そういういい予感がほとんどの状態で人生が構成されているのだろうかと不思議に思った。自分はどうなのかと思った。30分後とか、半日後とかのために生きることができるか、何年後かのために?何十年後、何百年後のために?時間換算できないくらい後にやってくる楽しさのために生きられるだろうか。その楽しさを想像するには、何が必要なのか。金か?何がいるか、何が枯渇しそうか。いま足りないものはあるか?