SIX能


銀座のGINZA SIX内の観世能楽堂へ。素人による仕舞とかを観る。うちの母親が出るからと言って呼ばれたのである…。しかし銀座の、なんというものすごい人間の数だろうか。そして、この商業施設の何という混雑、そしてこれは、なんという立派な劇場だろうか。これほどの劇場を、誰がどのようにして支えているのか。能というものも、ありがたいことにここ数年で何度か観覧させていただいたが、今日は弟子の皆さんが順々に出て、最後は主催者の師匠が出てくるのだが、これだとさすがに玄人と素人の違いはあからさまにわかるし、ほんものの能楽師の動きの違いみたいなものも理屈ではなくわかる。大体、どんな演目だろうが、自分のような万年一見さんには、ほとんど同じ動きをしているようにしか思えないのが仕舞であるが、しかしさすがに今日はその高度さというのか、一線上に綱渡りしているかのようなスリルというのか、今まで能というものを、一種の演劇だと思って観てきたけれども、どちらかといえば舞踏と思った方がわかりやすいというか、そういう一回性なリスクを背負った身体の過程を観るべきというか、それこそが面白い部分なのかなと思いながら観た。あとやっぱりそういう場所に身内が出るということの妙な落ち着かない気分というか不安感というか緊張感は独特であって、ふと数年前に昔の友人が出場した総合格闘技の会場に座っていたときのことを思い出した。観世能楽堂の舞台を見ながらディファ有明のリングを思い浮かべた人間もかなり珍しいだろうが…。


で、はじまって、最初に謡いの声を聞いて、「あ、これ母親じゃない、別人だ。」と思った。声が、今まで知ってる彼の人のものではなかった。しかし、目をこらして見たがやはり母親であった。声だけが、違う人なのだった。でもそうではなくて、やはり声も当人の声らしいのだった。というか、いや違う、仮にあれが母親ではないと思ったとして、そうも思うことも可能だった。はーやれやれと思った。