プレイタイム

昨日の夜、ジャック・タチの「プレイタイム」をDVDで観ていたら、途中で眠くなってきたので寝てしまって、今朝その続きを観る。中盤以降のレストランのシーンの店内デザインが、じつにすばらしい。ああいうお店というのが当時現実に存在したのかどうかと言えば、それはさすがになかっただろうと思う。ミニマリズムアールデコっぽさ、古典的フレンチ感と今風に言えばイノベーティブ・フュージョン的内装の感じとが、見事に組み合わさっている感じ(…に見える、そういう「意図」でデザインされているわけではなく、当時のタチの美意識が結果的に60年代半ばにおいて偶然そのようなレストラン空間を作り上げてしまったということ、何しろ当時のフランスではまだヌーベルキュイジーヌ(フランス料理の革新的スタイル)すら、まだ始まってないのだ。)

厳重なドレスコードもあるグラン・メゾン式の店と思われ、如何にも重々しく仰々しい料理やドアや壁や椅子や内装飾りなどが、ネタとしてほとんどおもちゃのように扱われて、超高級贅沢なドリフのコントみたいなのが延々続く。だからすべてのセットはコントの小道具として存在するのだが、そのような部品には見えない。あの椅子の背もたれの、店内の雰囲気との調和はなんて素晴らしいのか。椅子のあとがジャケットの背中についてしまうギャグのためにあのデザインはあるのだろうが、そんなことよりもデザインそのものに魅了される。

ステージにバンドが登場してからは喧騒と踊りと食事と団欒とが平然と組み合わさって、およそレストランにおけるディナーの風景としては前代未聞な時間がひたすら続く。画面の中で色々なことがめまぐるしく動き回っているのを目で追いかけているので、肝心のコントの中身というか、面白いことが起こった瞬間をしばしば見逃してしまう。画面の真ん中で誰かが何かをやっているのに、こちらは画面の端をうろついてる通りがかりの人々ばかり見てたりするからだ。「こういう店がいい」とか「こういう風に食事してひとときを過ごしたい」とか、観ていてそういうことを思うわけではない、そういうことでは全くなくて、こんなことは絶対にありえない、完全な虚構であるがゆえに、その全てがつくりものであるかゆえに、かえっていつまでも目が離せないということだろう。もちろん夜の繁華街で朝まで大騒ぎして、朝になっても興奮さめやらず近場のバーで二次会が引き続くということは現実にいくらでもあるだろうが、この映画での出来事はそういうこととは少し違っている。夢のような絵空事と現実の手触りのじつに程よい調和がいいのだ。

そのまま二回繰り返して観ていて、しかし二度目の後半から再びうとうとして、やがて眠ってしまう。起きて近所で買い物ののち、早めに夕食、食後またうつらうつら、なんだか一日中眠ってばかりだった気がする、夜も早めに就寝へ。