アルバム

宇多田ヒカルなら、宇多田ヒカルのアルバムの始めから最後まで通して聴くというのは、あの声、あの息つぎ、あの感情的な何かを、黙ってじっと聴くということで、そのとき、宇多田ヒカルという人は、聴くことで積み重なっていくこの独特のこれは、たしかに重いなあと思う。重くて昔から変わらない強情で頑ななものに今回もつきあってるという感じがある。それでいて、表層や仕立てや門構えや内奥の処理の隅々にまで最新の処理が施してあって抜かりなく、まるで高級レストランに来たみたいな、一部の隙もなくお客様をおもてなしすることの気概に溢れているようなところもあって、さすがですね、これぞ一流です、非の打ちどころがありません、と言うしかないようなところもあって、素材も盛り付けも供し方も最新の流行はしっかりとおさえて、どこへ出しても恥ずかしくない、意識や視点からして別次元なのだけれども、しかしあらためて思うのはこのお店のシェフの根本にあるじつに古風な持ち味のことで、それをきっとこれからも実直に守り続けるつもりで、一本調子とも言われかねないほどの頑固さをもって、自身の持ち味はそのままに、真正面から勝負する気なのね、そういうところが、カッコよくもあり、ちょっと疲れるところでもあり、でも一流の仕事っていうのはそういうことですよねと思わせる。それを今後も何度も聴きたくなるかならないかはまた別の判断基準で決まるのだが、何度も聴くことを許容できるというか、その反復を生活のなかに持ち込んで良いと思えるような、アルバム単位の音楽に出会える機会が、最近めっきり減ったとは思う。