You've Got Everything Now

歩いていて、突然イヤホンからThe Smithの「You've Got Everything Now」が再生されるとき、今歩いている自分の前後左右にも人々が歩いていて、僕も歩行者の一人で、しかし僕だけにこのサウンドがもたらされていることの不思議さを、どうあらわせばよいのか、それはまるで僕だけが今、不条理なほど特権的に満ち足りたものを授かっている真っ最中のような、ありがちなエロ映像の、周囲が皆真面目に仕事している中で中心の登場人物一人だけがよろこびに我を忘れている瞬間を、今まさに自分が演じているかのような、その内側と外側のギャップのあまりの激しさを、どう腑に落とせば良いのか。

愚にもつかない言葉、しかしThe Smithにおいて音楽と言葉は不可分というより、音楽も文体であり言葉を構成する部品という感じがする。言葉の愚にもつかぬ諸々がぼろぼろと剥がれて落ちてあちこちに散らばる。それによってたしかな言葉や意味に変わるわけではない、こわれて言葉以前に戻ると言ったほうがよい、しかしそれは常に現在進行形、動作の過程、その様子そのものだ。こういうのはすでに、良くも悪くもない何かだ、そういう判断対象とは別のもの、だからこそ皆がそうなりたいと、あれにこそなりたいといって憧れるのだろう。