静か

今朝の京浜東北線大森駅を過ぎたあたりで速度を落として徐行運転をはじめた。前の電車が蒲田駅で車両点検しているせいだ、電車遅延を詫びる車内アナウンスが流れる。その放送音が、自分の位置からだとまるでスピーカー経由ではない生の声で、耳元のすぐ近くで僕だけに囁かれているかのように聴こえた。

列車が完全に停止すると、満員に近い状態の車内は水をうったような静けさにつつまれた。毎日通勤電車に乗っていると、たまにこんな静寂を体験するのは、珍しくもないのだけれども、それにしても静かだ。

静寂が訪れると、その静寂を聴こうとして、つい耳を澄ましてしまうものだ。そして今、自分を取り囲むこの空間、目に見える範囲の先にも同じ車両があって、同じような筒状の空間がつながっていて、さらにその先にも・・・というトンネルのように長々とした形状の内側を、耳で感じ取ろうとしてしまうようなのだ。

そのとき思い出した。先日の名古屋から東京へ向かう新幹線の車内、あのときもすごく静かだったのだ。

連休最終日ということで自由席は相当混雑していたし、僕たちの座る車両もほぼ満席だったはずだが、移動中の車内が、ほんとうに不思議なくらい、誰の話声も聞こえず物音も立たない。鉄の車両が、時速二百キロとかで専用線路を走る、その音が防音壁を経た鈍い中低音をともなった微震動としてシート越しに伝わってくるだけだ。

走る列車の中で、本を読むでもなく、飲み物を口に運ぶでもなく、ただ前を見ている。あるいは窓の外を見ている。そのときの自分は、何もしていない。というか、自分は運ばれている。移動している。その出来事そのものとして、今そこにいようとしている。

乗客は誰もが皆、思い思いに過ごしている、たぶんそのはずだ。斜め前の人はイヤホンをして黙ってスマホの画面を見つめている。その後ろの人は俯いて何かに目を落としている。皆、動かないし、声も出さない。眠っている人もいるだろう。

誰も口を開かず物音も立てない。とても静かだ。

どうせ目的地に着けば、いつものざわめきが戻ってくる。それに取り囲まれて、揉みくちゃにされる。ここにいる皆が、それをわかっているから、せめて今は、との思いで、ああして静寂を支え合っているのか。

とにかく、いつでも静かだ。