松戸

スマホを自宅に置き忘れてきたことに気付いたのだけど、まあ休日くらいスマホ持ち歩かなくてもいいだろうと思って、そのまま駅まで向かった。久しぶりに駅の切符売り場で切符を買った。

水元公園への行き方は、自宅から徒歩で一時間半くらいかけていくか、亀有駅からバスに乗るか、金町駅からやはりバスに乗るかだが、今日はまったく違う経路を試してみようとなって、松戸駅を下車してそこから徒歩で江戸川を渡って公園のいつもとは反対側の端から入園するという計画を立てた。

松戸駅前は巨大な駅ビルや飲食店がひしめいていて完全に繁華街の様相だが、江戸川にかかる葛飾橋を目指して、坂川という小川に沿って歩き続けると、川沿いや周辺の景色は絶妙に古い景色へ変わり、その風情がなかなかいい感じ。古いといっても、旧き良き戦前の何ヤラとか日本家屋とか、そういう意味ではなくて、せいぜい昭和の後半あたり、僕の子供時代の景色を髣髴させる約四十年くらい前の感じが、未だに残っているような気がする…といった程度の、近来の開発跡があまり目立たないというか、たまたま対象から外されてきたかのような、その程度の、それなりに朽ちて錆びついた雰囲気に初夏の深緑が覆いかぶさっているような景色というだけのことなので、誰が見てもわかるような如何にもな古さではなくて、ただ何となく地味に古いというだけなのだが、むしろそのくらいで丁度良くて、自分が子供の頃は、東京も郊外もこんな景色ばかりだったと思うような景色だ。

葛飾橋はいったい何メートルあるのかと思うくらい長い橋で、江戸川の川幅よりもさらに長く向こう側の土手の先までまっすぐに延びていて終端は霞んで見えない。渡りきるまでたぶん十分以上は歩いたと思う。見下ろされる江戸川の流れは、やはり荒川とくらべると少し自然の河川に近いというか、川沿い周辺を変に工事とかでいじくりまわしてないし、水のゆったりとした流れが波打ち際に長く伸びた雑木や雑草を静かに揺らしているだけの様子も好ましかった。面白かったのは川沿いにぽかんと空いた平地に、ゴルフの打ちっぱなし練習場があって、しかしそこはきれいに区画調整されてきれいな芝生が植わっているわけでも何でもない、只の茶色くて埃っぽい空き地そのもので、本来ならばその手の施設に必ず設置されていそうな、ゴルフボールが外へ飛んでいくのを防止するはずの緑色のネットもなくて、夜間のための照明器具とか各種設備もない、全くなんにもない単なる空き地で、その一角に黒っぽいゴムのシートが乱雑に並べられていて、それを俯いて見下ろす恰好のゴルフクラブを持った人々が横一列に並んで、思い思いにぱーん、ぱーんとクラブを振り上げてゴルフの練習をしているだけなのだ。小さな白い球は、宙を飛んで適当な弧を描きつつ、だだっ広い平原のどこかへ落ちる。打つ場所から何メートル毎に飛距離を示す看板が立っていて、遠くにある低い柵が一応フィールドの境界線としてまわりを囲っているだけの完全な「青空」ゴルフ練習場である。こんな状態で周辺を人が通りかかったりしたら危なくないんだろうか?と誰もが思いそうなことを僕も思ったけれども、周囲に人が立寄れないのか立寄らないようになっているのか、とにかくたぶん上手いこと安全が担保されているのだろうけど、それにしてもこれは、めずらしい景色だと思った。空き地があったから、俄か作りだけどゴルフ練習場っぽいやつをはじめてみました、みたいな。ほとんど子供が空き地で遊んでるのと変わらないような、実に簡素なやり方で、初期投資費用なんてほぼ無しではと思うような、こういうところもなんとなく昔っぽいというか、大昔なら良くも悪くもこのくらいの大らかさと適当さで商売する人って多かっただろうなあと思う。その敷地のすぐ脇の駐車場も、未舗装でもうもうと埃の立つような地面で、ああいうでこぼこガタガタの未舗装路を、自動車が小刻みに車体を揺らしながら低速で進む様子というのも、最近あまり見かけない、如何にも自分が子供時代に見た光景という感じがする。

川を渡ってから、すぐの場所にあった小さな町工場みたいな建物からふわっと漂ってくる匂いがあって、これもどこか懐かしく感じたのは、その時点でもうすでに懐かしさ感受スイッチがMAXでONになっていたからかもしれないが、子供の頃、家から歩いて五分もしないところに小さな印刷会社があって、その敷地内に勝手に入って自動機織り機のような印刷機械が何度も何度も紙を上下に伸ばしては刷って、伸ばしては刷ってを繰り返しているのをいつまでも眺めていたものだが、あのときの機械の動きの面白さもさることながら、いつまでも忘れがたいのは印刷用インクの独特の匂いだった。あの匂いの魅力に、あのへんに住む近所の子供たちは皆、完全に恍惚となって、目をとろんとさせて、あっち側へぶっ飛んでいたのかもしれない。そんなことを思い出したりもした。