海の沈黙

ヴェルコール「海の沈黙」を読んだ。気詰まりでいたたまれないような時間のなかで、ドイツ将校の仕草や表情や、頑なな否定の思いを全身で発散させているかのような姪の態度が、すばらしく繊細に描写されていて陶酔させられる。

占領下フランス、主人公と姪が二人で暮らす家。そこに突然ドイツ軍の車がやってきて、やがて一人のドイツ将校が二階を間借りすることになった。

将校を、二人は黙殺する。与えるのは、沈黙のみだ。相手を、見ることすらしない。ただし怒りや恨みを滲ませるような態度ではなく、いつもの静かで落ち着きをもった、ほとんど感情を失っているような穏やかな態度でだ。

将校が、部屋から階段を下りてドアの前までやってくる。そしていつものようにドアをノックする。返事はないことがわかっているから、そのまま入ってくる。そして微笑して挨拶すると、暖炉の前で身体をあたためる素振りなどしながら、誰に聴かせるでもなく、独り言のように、しかしその二人が聴いていることを信じるように、お喋りを続ける。二人はそれを、何も言わずにじっとしたままで続けさせている。ひとしきり話が終わると、将校は「おやすみなさい」と言って部屋を出ていく。それがほぼ毎夜のことだ。そして…

「芸術と叡智」そしてその土壌としての「フランス」に対する手放しの賞賛の感じは、さすがに「…なんかすごいな」とも思うのだが、しかしどこを開いて読んでも、どの行のどの箇所も等しく魅惑的でうっとりする。最後の姪のかすかな、しかし不可逆的に鮮烈な態度の変化、それがしみじみと、いつまでも心に残る。