トイ・ストーリー3

夏季休暇1日目だが、今年は見事に妻と休暇を合わせることができず、全日完全ソロ活動が確定なので、まずはその初日として鮨屋で昼から酒とする。行く前に駅前のツタヤに立ち寄り、溝口の「近松物語」を借りてきた。これを突然なぜ観たくなったかというと「天気の子」の余韻に反発したいというか、いや、あんな子供の恋愛なんか屁でもないわ、本当にヤバくて危険な恋愛の反体制というのは、こういうのを言うんだよ、などと誰にでも無く言い張りたいような気になったから。

新橋の店、約一年ぶりか。すばらしい90分前後を経て帰宅後、ある人からお勧めされたので半ば仕方なくトイ・ストーリー3amazonプライムで観る。これ、休暇中のおっさんが一人で観る映画じゃないよなあ、、などと思いながら、最初は適当な気分で眺めるようにしていたのだが、これが思いのほか物語がシビアで、ええ?っと思わせるような展開と描写が連続して、意外にも最後まで見届けることになってしまった。お勧め人のお言葉としては「仲間同士の絆が最高」みたいなことで、まあ、たしかにそういうお話ではあるのだが、それを成立させる条件が、おいおいと突っ込みたくなるような世知辛さの情け容赦無さで、そんな彼ら登場人物の置かれた状況があまりにもシビアすぎるというか、これじゃあほとんど強制収容所に送られるか否かの瀬戸際にいる人そのものではないかと、なぜこれほどまでにシビアでのっぴきならない状況に追い込まれてる登場人物たちがこんな子供向け映画の主人公になっているのかと、まずそこに驚く。それこそ劇中の「サニーサイド保育園」の芋虫組は、かの絶滅収容所そのものではないかと、なんとも割り切れぬ思いのままそんな幻影をじっと観るばかりなままに時間が過ぎていく。「天気の子」に対していっさいシビアで切実な要素を感じることができなかった自分が、この映画にはもろにシビアさを感じているというのが、謎というか僕の関心の方向性のわけわからなさかもしれないが、マジでトイ・ストーリー3の方がよほどある種の環境を描写できているように思われるし、暴力の描写、その凄惨さやザラついた感触、救いのない味わいも含め、徹底している気がする。悪い奴が最後まで一貫して腹の底の心棒のきらめきに至るまで罪深いというあたりも凄いと思う。というか、これもやっぱり、アメリカ映画の長い積み重ねがあってこそだなあと思う。