上映後

夫婦で映画を観たあと、映画館を出て歩いている途中で、さて観終えての一言を、どちらから先にどんなふうに口に出すかのタイミングを探る瞬間は、いつものことだがやや軽い緊張感があるものだ。まず単純に良かったか悪かったか、それが双方でおおむね一致しているのかいないのかが、大きな枠組みとしてある。その言葉が一言二言出るまでには、大げさなようだが、軽い腹の探りあいみたいな時間がある。

 

その映画を、相手が「良かった」と言ってる、もしくはそう感じているらしいとわかったときには、もしその映画を僕が必ずしもそう思ってなかったとしても、相手の「良かった」を尊重する必要はある。というか、その「良かった」を解析しあうような話に展開させるのがもっとも良いと思うし、そうでないと面白くない。実際、現実的には「僕は良かったけど、お前はそうでもないだろうなあ」とか、その逆「私はすごく良かったけど、そっちはこういうの嫌いでしょ」とか、そういうパターンがいちばん多い。

いずれにせよ、所感や印象を言い合う瞬間に、それなりの配慮をすると、我々の間には長年そのようなルールが無言のうちに共有され合ってるようであり、よく考えたらそれ自体がずいぶん大げさな話で、疲れると言えば疲れるけれど、たぶん今までもこれからもわりとそんな感じだ。

だから先日の「天気の子」みたいに「二人とも、さほど面白いと思わなかった。」みたいなのがいちばん話としては盛り上がらないのだが、それでも「いや、きっと面白いはずだ、それを理解してないのだ」という視点を掘り起こして、でもそれに至れてないから逆ギレ気味に愚痴っぽい言葉が出てきて、そういうネガティブムードで盛り上がることもできるという…これはこれで陰湿な面白さがある。

まあ、それはともかく、最近は映画の本編前に予告編が延々上映されている間、館内の照明がまだ薄明るい状態のままであることも多くなったと思うが、そういうときはまだ「始まってる」感が薄いので、思ったことをポツリポツリと隣の妻に話しかけたりしていて、そうしたら「なんかまるで、何か知らないけど映画館の中でやたらと独り言喋ってるおじさんってたまにいるけど、今まさにそんな人みたい」と言われて、おお、そうかついに僕もそんな人になってしまったのか、と感慨深い思い。