外食

買い物に行く途中、おそらく社会人のチーム同士が休日の中学校校庭を使ってサッカーの練習試合をやっている脇を通りかかる。誰もみな、体がでかくて、全力で走り回って、砂埃を立てて、吼えるような大声で、広いグラウンドを縦横無尽に駆けずり回っている。大人の男が、本気で走ったり蹴ったり飛んだりして運動しているのは、さすがにえらく迫力があるというか、一挙手一投足の重みとパワーが違うというか、なにしろ大変なことである。素人試合だろうが、こういうのを缶ビールでも片手にぼーっと見ているのも、それなりに楽しいかもしれないとも思う。

旅行先のどこで夕食をとるかは、鮨や天ぷらや割烹など和食系より洋食が良いような気がする。はじめて訪れる土地のはじめての店というとき、和食の店は、店にもよるけどどうしても日本的なものが予想されて、日本の排他性というか店側と客側の関係のいわば日本っぽさというものを、一見の立場としてやや面倒くさく感じてしまう。それは和のしきたりとか作法とかそんなややこしいものではなくて、和の店における社交の風土みたいなことである。東京なら別にかまわないというか、最初からそういうものと思って、あらかじめわかって店に行くからそれでいいけど、はじめて訪れる東京以外の場所だと微妙に抵抗をおぼえるというか、そこはかとなく面倒で億劫なものを思い浮かべたくなる。いや、実際はそんなことなくて、考え過ぎであるとはわかっているつもりだが、しかし旅行者が部外的存在として当地にて食事をするとき、和食よりも洋食の方が都合が良いのは間違いないと思っていて、フレンチでもイタリアンでも多少高級店であっても、店内の旅行者が自分たちの領域内を確保して安心できるという意味では、やはり洋食がのぞましい。テーブル席が並ぶ洋食店の場合、居合わせた客同士は直接コミュニケーションする必要がなく、それぞれの時間を過ごすことで店内全体の雰囲気の一要素となるだけだ。しかし和食で、ことに少人数がカウンターを挟んで店側と向き合うような場合、部外者は部外者としてだけ振る舞うわけにはいかなくなり、向かい合った関係と隣り合った関係、両方を考えて、場合によっては店全体の雰囲気向上を阻害しない程度の社交を、場に差し入れなければならないことが珍しくない。これが、少なくとも我々のような性格の旅行者にはどうにも億劫に感じてしまうところではある。(カウンターならば、和でも洋でも一緒のことだとも言えるが、でもやはりちょっとニュアンスが違うのだ。まあ、行ったら行ったで、それなりに楽しく過ごすことになるのだとは思うけど、やはり旅行者のその夜の孤独を味わいつつひっそりと店内の片隅のテーブルに向かい合っている方が、その寂寞のアウェイ感も含めて、なぜか気持ちの落ち着きどころが見いだせる気もする。というか、おそらく彼の地では黙ってそうしていたいのだと思う。)それでも個人的には酔うとわりかし饒舌になってヘラヘラし出すので、そんな自分の言葉を自分で信じられないところもあるのだが。