おにぎり

昨日の朝、おにぎりを三つ作ってもらって、お昼に一つ食べた。夜になってもう一つ食べた。残りは、今日の昼に食べるつもりだった。ところが昼になって最後のおにぎりを手にしてラップを取ったら、表面に薄っすらと納豆のような極細の糸が引いたのが見えた気がして、匂いをたしかめてみたら、ああ、これは…と思った。おにぎりは、すでに傷んでいた。まあ、一日半経っているのだから、傷むのは当然かもしれないが、先週もおにぎり三つでまったく同じように食べて、べつに何ともなかったのだ。まあ、春らしい気候で、そうなるのもむべなるかな、ではあるが。

おにぎりが糸を引くなんて、僕はうまれてはじめて見たのだが、それで太宰治の「たずねびと」という短編を思い出した。これをはじめて読んだとき、たぶん十八歳かそこらの時だと思うが、"にぎりめし一つを奪い合いしなければ生きてゆけないようになったら、おれはもう、生きるのをやめる"…という言葉に深く共感した記憶がある。なるほどそう考えれば、気がラクだと思った。というより、ここに描かれているようなことを、もしいつか自分も経験するとしたら、おそらく耐えられないだろうと思った。いじけたようなものの言い方の、如何にも卑屈な文体だけど、子供たちを背負ってこんな辛い旅をするのだから、自分よりもよっぽど強い人という印象をうけた。

 

 福島を過ぎた頃から、客車は少しすいて来て、私たちも、やっと座席に腰かけられるようになりました。ほっと一息ついたら、こんどは、食料の不安が持ちあがりました。おにぎりは三日分くらい用意して来たのですが、ひどい暑気のために、ごはん粒が納豆のように糸をひいて、口に入れて噛んでもにちゃにちゃして、とても嚥み込む事が出来ない有様になって来ました。下の男の子には、粉ミルクをといてやっていたのですが、ミルクをとくにはお湯でないと具合がわるいので、それはどこか駅に途中下車した時、駅長にでもわけを話してお湯をもらって乳をこしらえるという事にして、汽車の中では、やわらかい蒸しパンを少しずつ与えるようにしていたのです。ところがその蒸しパンも、その外皮が既にぬらぬらして来て、みんな捨てなければならなくなっていました。あと、食べるものといっては、炒った豆があるだけでした。少し持っているお米は、これはいずれどこかで途中下車になった時、宿屋でごはんとかえてもらうのに役立つかも知れませんが、さしあたって、きょうこれからの食べるものに窮してしまいました。
 父と母は、炒り豆をかじり水を飲んでも、一日や二日は我慢できるでしょうが、五つの娘と二つの息子は、めもあてられぬ有様になるにきまっています。下の男の子は先刻のもらい乳のおかげで、うとうと眠っていますが、上の女の子は、もはや炒り豆にもあきて、よそのひとがお弁当を食べているさまをじっと睨んだりして、そろそろ浅間しくなりかけているのです。
 ああ、人間は、ものを食べなければ生きて居られないとは、何という不体裁な事でしょう。「おい、戦争がもっと苛烈になって来て、にぎりめし一つを奪い合いしなければ生きてゆけないようになったら、おれはもう、生きるのをやめるよ。にぎりめし争奪戦参加の権利は放棄するつもりだからね。気の毒だが、お前もその時には子供と一緒に死ぬる覚悟をきめるんだね。それがもう、いまでは、おれの唯一の、せめてものプライドなんだから。」とかねて妻に向って宣言していたのですが、「その時」がいま来たように思われました。

「たずねびと」