観る

Amazon Prime Videoで今泉力哉アイネクライネナハトムジーク」」(2019年)を観る。

 

これまで連続して観てきた今泉作品で"ほぼ面白くない"と思えるものに、ついにはじめて出会った。対話のテンポ感とかに、かすかにこれまでの作品から継続されるニュアンスは感じられるものの、話がこれまでのようにきっちりとした技で蒸留されきってないというのか、生臭くて陳腐で退屈すぎて、さすがにさいごまで見つづけるのは困難という印象。こういうこともあるのか。

 

続いて日本映画専門チャンネルで、想田和弘「Peace」を観る。

 

登場する主な人物は、福祉用の自動車で要介護者や障害者を施設や病院に送り届ける仕事を、利益や採算度外視で続ける老夫妻であり、自動車に乗る何人かの人々であり、夫妻の家に居つくたくさんの猫たちである。

 

ドキュメンタリーに登場する人物が、魅力的に見えるというのはどういうことなのか。共感とか尊敬とか、そういった落ち着いた感情とは別の、もっと切羽詰まった、ざわざわと心の奥に立つ胸騒ぎのような感覚をおぼえたとしたら、その理由は何なのか。

 

仕事をしている人間、それが現前していることの力、なのかなあ…とも思う。ことに奥さんの、あの雰囲気、かなり神経質だし、細かいこと色々うるさそうだし、撮影されてることを必ずしも良いと思ってなさそうな感じもすると同時に、あからさまに不愉快さや拒絶感を出すわけでもない、きちんと問題ない距離感で受け入れている、そのあたりの感覚的な確かさも含めて、ああ、なんかこういう人って、すごく優秀で、信頼に足る、素晴らしいキャラクター。いや、ドキュメンタリーだけど、しかしドキュメンタリーって、撮影した人物をキャラクター化することだろうなとも思う。

 

橋本さんの、ほんとうに見事な、人生の最期のひととき。タバコを吸いながら、癌に冒されながら、最期まで自分を変えず、同時に周囲から認知されている自らのイメージを裏切らず守り通した。その配慮、心尽くし、死の直前まで消え尽きない、社会人としてのサービス精神、おそらく死ぬほど気疲れし、一人になって、疲労困憊の自分を見出す日々だったのかもしれない。老人になっても、外出時にネクタイすることの矜持、その心意気の迫力に打たれた。

 

しかし僕もいよいよ、自分のこれから死に近づいていくこれからについて、考えないわけにはいかない。逆算するような考え方にはそもそも抵抗があるのだが、しかしダラダラしているばかりでも仕方ないしなあ…と。

 

続いて日本映画専門チャンネルで、想田和弘「港町」を観る。

 

岡山県の海沿いの町、父親の実家の雰囲気にとても良く似ている。そこで暮らす老人たち。田舎町の、老人たちの生活、そこに生まれる独自なスピードで流れる時間。