今泉特集3

日本映画専門チャンネルで、今泉力哉「知らない、ふたり」(2016年)を観る。素晴らしかった。感想よりもひとまず、観たことを思い出すがままに、以下に書き記しておきたい。

靴屋で働く韓国人のレオンはいつも孤独だ。レオンは自分が信号を無視して横断したことがきっかけで交通事故が起こり、それによってある男性が足に障害を負ったことを今でも苦にしている。自分の行為が誰かを傷つけるきっかけになったことに苦しんでいる。

同僚の秋子はレオンのことが気になっている。

レオンはある朝、謎の女と出会い、その女のことが気になり始める。たまたま靴修理の注文主だった女の住所を知って、その女が毎日帰宅するところを物陰から覗き見するようになる。

その女の名はソナで、コンビニでバイトしている韓国人だ。友人の男にサンス、恋人にジウがいる。

レオンは、ソナを毎日ストーキングする。ソナが自室に戻り、ドアに向こうに消えて、部屋の灯りがつく。そこまでを見届けてから、レオンは自宅へ帰る。

そのレオンを、秋子は毎日ストーキングする。ソナを見守るレオンの様子を見て、やがて自室へ戻るレオンを見届けてから、秋子は帰路へ着く。

ジウもサンスも日本語学校に通っている。ジウは教師の加奈子を好きになってしまう。ソナのことも好きだが、同時に加奈子も好きだと。

ジウは自分の今の気持ちを、正直にソナに告げる。ソナは困惑するが、じつはソナにも別の想いがあった。ある朝、唐突に出会ったおぼえのある、ぼんやりとした記憶に残る誰かのことが、今でも気になるのだ。酔っぱらってベンチで眠っていたところに話しかけられただけで、どこに誰ともわからないし、そもそもそのベンチがどの公園のどの場所だったのかもおぼえてないのだ。でもそのときの相手の雰囲気だけは覚えていて、それがいつまでも気になる。

その朝、ソナはヒールを折ったので、修理のために靴をもって店を訪れたのがソナの友人のサンスだった。サンスは店で、秋子に一目ぼれしてしまい、加奈子にも協力をあおぎつつ日本語でラブレターを書いて秋子に渡す。

ジウから想いを告白された加奈子は複雑な思いだ。彼氏の荒川は自分の身体的な障害が加奈子を自分に縛り付けていて、それで加奈子が苦しんでいるのはないかと思っていて、それを加奈子に告げる。それを聞いた加奈子は悲しむ。荒川は加奈子を気遣うようでありながら、結局は自分に自信がないことの裏返しを相手にぶつけているだけなのだ。

秋子はサンスにラブレターの返事をするため、居酒屋に誘う。その席で、自分には好きな人がいるから求めには答えられないことを告げる。自分が好きな人は毎夜誰かをストーキングしていて、その彼を自分もストーキングしているのだと告げる。そして、ある夜から彼のストーキングが止まったこと、さらに、今夜これからその彼がストーキングしていた彼女を見てみないかと誘う。

秋子が、ある夜だけストーキングしなかった理由は、その日がサンスからラブレターをもらった日で、そのことで頭がいっぱいだったからだ。しかし翌日から、レオンはストーキングをやめてしまう。いったい前夜に何があったのか秋子にはわからない。

秋子とサンスは、ソナが帰宅するところを覗き見る。サンスはそれがソナだとわかり、なぜレオンがあの夜以来ストーキングを止めたのかを悟り、それを秋子に告げる。その夜、サンスとソナとジウは三人で呑み、ソナはいつものように前後不覚になるまで酩酊して、帰り際にその場の勢いでサンスとキスしたのだ。ストーキングしていたレオンはおそらくその瞬間を見たのだろうとサンスは秋子に告げる。それを聞いた秋子は激昂する。意味がわからない、あんた、私にラブレターを渡した当日になんで他の女とキスしてんだと。

結局、秋子とサンスは再び居酒屋で飲みなおし、そこで話がまとまり、秋子、サンス、そしてソナも入れて三人で、ソナが謎の男と出会った場所を探そうと。付近の公園を手当たり次第に訪れて、記憶の場所と一致するかと確認してみようとする。翌朝、初対面の挨拶もそこそこに、ぎこちない三人の公園探索が開始される。が、結局その場所はわからなかった。

加奈子と荒川は話し合いの末、お互いの気持ちを確かめ合い、ついに結婚を決意する。そのあと加奈子への誕生日プレゼントとして、荒川は加奈子にオーダーシューズをプレゼントしたいと告げ、靴屋へ二人で向かう。そこで荒川と加奈子は、レオンに再会する。荒川が車椅子の生活になったのは交通事故が原因で、そのきっかけはレオンの信号無視だったのだ。その事故でレオンは目撃者でしかないのだが、レオンはこれまで罪の呵責を感じ続けてきた、その当人が来店したのだ。落涙するレオンに加奈子は二人が結婚すること、レオンに罪悪感を感じる必要のないことを告げる。レオンを抑えつけていた長年の罪の意識がそのときに晴れる。

ところで加奈子が足のサイズを測っているとき、荒川は時間つぶしに近くの公園を車いすで徘徊していて、そこでソナとジウをたまたま見かける。二人は前日に話し合って、ソナが眠っていたベンチの場所を二人で探すことになり、公園を徘徊しているうちに仲直りのきっかけが生じる。荒川が偶然目にしたのはその瞬間だった。

秋子がストーキングしなかった一夜の出来事が回想される。泥酔して、その場の勢いでサンスとキスしたソナはアパートの階段に座り込んでいる。物陰に潜んでその様子を見ていたレオンは、ソナの隣に座り、はじめてソナと話をする。泥酔しているソナは相手がレオンだとは思わず、さっきまで一緒だったサンスだと思っている。ソナはレオンに、私はあの朝ベンチでその人にあってなぜか救われた、と告げる。

晴れやかな気分を取り戻したレオンは、靴屋のみんなにアイスクリームを買ってあげるためにコンビニへ行く。そのコンビニでバイトしているのはほかならぬソナだ。ソナはレオンを見て、自分が探し求めていた相手が目の前の人だとすぐに悟る。レオンはソナに、いろいろとありがとうございました、とだけ告げて去る。

ちなみに登場人物のレオン、サンス、ジウは韓流のアイドルグループNU'ESTのメンバーらしい。とくにレオン役のレンの、若い男としての美貌がヤバいほどの凄さ…。この人物のアップを観てるだけで一定の満足を得られるほどだ。

続いて、日本映画専門チャンネルで、今泉力哉「こっぴどい猫」(2012年)を観る。今まで観てきた今泉作品の中でもっとも初期のもの。すでに今泉テイストは濃厚に漂ってはいるが、まだ既成の面白さ的な枠組みの範疇にあるという印象、いや…中年オッサンのうっとおしい気持ち悪さと後半の寒いオチがかなりキツイのだが、それでもこれだけきっちりと自分の作品に仕上げているところがすごいと思った。

続いて、今泉力哉「退屈な日々にさようならを」(2017年)をもう一度観る。これは再見しなければわからない。非常にとっちらかた印象の作品である。予測不能というか、映画全体の印象をひとまとめに記憶するのが難しい作品とも言えて、そこが魅力の一つでもある。冒頭のエピソードから、映画自体が最後あのように進んでいくことを予測するのはきわめて難しく、前半と後半のテイストがまるで違う。荒唐無稽でありえない話であるのはこの作品に限らぬ今泉力哉の常道ではあるが、それにしても本作に描かれた世界の説明のつかなさはおかしい。それだけのエピソードにしてはあまりにも強烈な"清田ハウス"の少女たちの異様さ。MV撮影の仕事を依頼される前後の梶原のグダグダした感じ、自殺した次郎の故郷、警察官のキミコは、婦人警察官というよりも警察官のコスプレをしているかのようだし、次郎が死んで行くのを見届ける青葉はやたらとカッコよくいい雰囲気で、何もかもがチグハグに継ぎはぎされている感じで、しかしそこが面白い。ミツキの再登場以降もいい。話自体もいつもながらすごく巧みに作られているのだが、それだけではない余剰的な魅力度において本作は他よりもひときわ目立ってる感じだ。

続いて、今泉力哉パンとバスと2度目のハツコイ」(2018年)も、再度観た。やはりこれは傑作だと思う。

冒頭、フランスパンで切り傷を負うことの意外さと、でも、あるかも…と思わせる感じ。この始まり方、このつかみ。

たもつとふみが最初に二人で居酒屋で飲むときの、ふたりの会話の感じ。本作に限らなくて、今泉作品のどれもがそうだが、対話シーンの、あのゆったりとした雰囲気が、映画全体の雰囲気を決定したかのように事後的には感じられる。彼らはその後色々と内面を吐露し合うのだが、それでいて最初の居酒屋で並んでいるときと基本スタンスが変わってないかのようでもあるのだ。この二人の醸し出す感じがまずとても良い。

たもつの職場であるバス車庫で、バス洗車を見学するシーン、この場所でふみのすごく重要に思えるセリフ「私は一人になりたくなっちゃうんだと思う(…)寂しく在りたいんだと思う。」が出てくる(ものすごく重要な言葉だと思うのだが、何度聴いても正確におぼえられなくて、さっき録画をもう一度観返した…)。ただし、その言葉が出てくるのが、どうして洗車バスの車内でなければならなかったのか、その必然性が初見時はわからなかったのだが、そのシチュエーションが、ふみのとっては体験してみたい場だとしてがたもつにとってはなんでもない日常にすぎなかったというのが、のちの作品終盤におけるふみの決意のきっかけになっているのだと、ようやくわかった。そもそも映画冒頭でふみにとっての日常である夜明けのシーンはきちんと出てくるのだ。ほんとうにきちんと構成されているなあと思う。

終盤の、ふみとたもつの互いの心情を吐露しあう場面で、お互い山の向こうに向かってデカい声で自分の気持ちを叫び合うというのは、さすがにややそのまんまというか、これだと工夫なさすぎかなあ…という風にも、あらためて観たら感じてしまったのだが、でもとくに女性の声がとてもよく出てたのは、良かったのかもなあ…とか思った。

あと、ちょっと席を外すというときの「ちょっとトイレ」の使い方。今泉力哉の作品におけるトイレの重要性。こんなに登場人物が何度もトイレ行く映画は、珍しいと思う。そのひと時の不在を使って出来事を作る技。こういうのは、種々の当事者的な現実から生み出されるアイデアなのかもしれない。

ちなみに初見時、ふみの顔がなかなかおぼえられなくて、あとで妹がふみの家にやってくるとき、どっちがどっちかわからなくなって混乱した。そもそも冒頭のパン屋で、ふみと同僚がどっちがどっちかわからなくなったし、ふみもパン屋のときとバーで飲んでるときと普段着のときですごく顔が変わる気がして、えええ、、となった。さすがに二回目はそんなことない。…自分の年齢のこと言いたくなけど、すでに若い女というだけで、自分の目には誰だろうが同じような顔にしか見えない現象が始まっている気がしないでもない…。