殺し屋ネルソン

ドン・シーゲル殺し屋ネルソン」(1957年)。もちろん「ショットとは何か」で言及されている作品。Youtubeにあったのを観た。主人公の苛々と落ち着かない、何かに追い立てられているような切迫感に全編満ちている感じ。ネルソンは背が低い。いつも不機嫌そうな小男の隣にいるすらっとした彼女は、彼よりも背が高くて、それが余計に彼の苛立ちと不安を表現しているかのようにも見える。

状況に対する登場人物の無力さ。たとえばカフカのように、理由なく、なすすべなく、彼らはすでにそこへ投げ込まれてしまっている。そのわけを説明することなどできないし、そんな自分を見返す客観的な視点をもつなど思いもよらない。ただ焦りを感じ、苛立ち、危機感や不安を募らせ、それでも状況の改善に向けて、可能なところから律儀に確かめ、試し、按配を見極めたりはする。ことあるごとに機会を狙い、仲間を裏切り、相手を出し抜き、少しでも自身の身の上の安全を確保し、安全圏への逃亡をはかる。

緊迫感やスピード感はあるけど、勿体ぶったところはいっさいなくて、銃撃の起こるまでが早いというか、勝敗の結果があっけなく出るというか、ひと呼吸置く間もなく決死の瞬間が訪れて、気付けばもう過ぎ去っている。「見せ場」というようなものは無くて、登場人物たちが計画した、あるいは映画が計画した、ある段取りがあって、それらが着実に進行していく感じ。その先には、必ず終わりがあるという感じ。終わりとはすなわち死で、いくつかの場目の重ねられたのち、ベビー・フェイス・ネルソンは絶命する。こうなることは、わかっていたのだけれど…という、観る者の思いだけが取り残される。

ところでベビー・フェイス・ネルソンと言えば、マイケル・マンの「パブリック・エネミーズ」に出てきた同人物もそのふてぶてしさと憎たらしさにおいて強く印象に残るものだった。瀬戸際にまで追い詰められてからの異様なしぶとさ。応援で駆け付けた警官たちが何人殺されたことだったろうか。あいつの最期、身体全体で銃撃を受け、地面に向けて機関銃を撃ちまくりながらついに地面に倒れ伏す場面は、もし銃撃に倒れるシーンベスト10があったら推薦したくなるようなものだった。