名前

「うっかり人生がすぎてしまう」ことを自らに許さない、そんな気概をもって生きているか?と言われたら、そうでもないと答えるしかない。いや、べつにそんなこと思ってたわけではないでしょ、無理矢理書いているから出てくる言葉の可笑しさ。

名前を付けるという経験が、これまであまりないと思う。僕が名前を名付けた何かが、今この世に存在するのだろうか。たとえばコンピュータの名前なら、しょっちゅう付けてるけど、それはある決まりに従ってるだけだ。たまに、決まりから外れた命名になることもあるが、それはそれだ。名前を付けることで、そこに愛着とか因縁とか呪いとか、そこまで大げさではなくても、何かの思いとか、そういうものが付着するとはあまり思ってない。のだが、それはそれに値しないものにばかり名前を付けているだけだから、そう思うのか。そもそも名前の役割として、何が求められているのか。名前をもって、何かを説明すべきなのだろうか、そうかもしれないとして、だったら説明的な方が良いのか非説明的なのが良いのか、それも難しいところだ。名前をほしいとはとどのつまり、その名前が決まるまでのやり取りのアリバイがほしいということなのか、だとしたら君たちの仕事じゃないか、君たちの今の一挙手一動足の問題じゃないのかと言いたくなる。